主日礼拝式のご案内
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吹田教会の礼拝堂内部の様子です。
少し暗く、黄色のステンドグラスの光が射し込む礼拝堂は、
どこか修道院の雰囲気を漂わせています。

礼拝式の時間は  (おおよそ)
毎日曜日 午前10時30分〜11時30分 です。

おとなもこどもも、一緒に、ひとつの礼拝を守り、
その後で「分級」をおこなっています。
学校の紹介などで礼拝にいらっしゃる方も、
この主日礼拝式にご出席ください。

礼拝式の時間は、礼拝式の内容によって、若干前後したり、
諸行事との兼ね合いによって、まれに変更になることがあります。

聖餐は、教会暦上の祝祭日と、月の第1日曜日に執行しています。
聖書 は「新共同訳聖書」、 讃美歌 は「讃美歌21」を使用しています。
聖書・讃美歌には、 若干数、貸し出しの準備があります
(一般書店で売られているものと同じです。)
(教会を通して、書店に注文することもできます。)
なお、礼拝式の中では、任意の献金があります



吹田教会の礼拝式の流れ
前   奏  
招   詞  
讃   美 24 (たたえよ、主の民)
信仰告白 93-4 A 使徒信条 または 日本基督教団信仰告白
交   読 交読詩編
讃   栄 28 (み栄えあれや)
称   名 「神われらと共にいます」
「インマヌエル・アーメン」
牧会祈祷  
讃   美  
聖   書 旧約書
新約書
説   教  
聖   餐 81 (主の食卓を囲み)
27 (父・子・聖霊の)
讃   美  
奉   献 奉献の祈り
主の祈り 93-6 3 主の祈り
派   遣 91 (神の恵み ゆたかに受け)
派遣の言葉
祝   福 祝福の言葉


使徒信条

我は天地の造り主
全能の父なる神を信ず。
我はその独り子
我らの主イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり
処女(おとめ)マリヤより生まれ
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け
十字架につけられ
死にて葬られ
陰府(よみ)にくだり
三日目に死人のうちよりよみがえり
天に昇り
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて
生ける者と死ねる者とを 審(さば)きたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会
聖徒の交わり
罪の赦し
からだのよみがえり
とこしえのいのちを信ず。
アーメン。
主の祈り

天にまします われらの父よ。
願わくは 御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天になるごとく
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を
今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を
我らがゆるすごとく
我らの罪をも ゆるしたまえ。
我らを試みにあわせず
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは
限りなく 汝のものなればなり。
アーメン。

奉献の祈り

主なる神よ、
わたしたちが持っているものはすべて
あなたからいただいたものです。
そして今、
この献げ物と共に、
自分自身を、
あなたの御用のために
お献げいたします。
どうか、それによって、
御心に適うことが行われますように。
主イエス・キリストの御名によって
祈ります。
アーメン。

派遣の言葉

牧師:主は言われます、
    「わたしは誰を つかわすべきか」。
会衆:「わたしがここにおります」。
    「わたしをつかわしてください」。
牧師:キリストの平和の使者として、行きなさい。

日本基督教団信仰告白

我らは信じ かつ告白す
旧新約聖書は 神の霊感によりて成り キリストを証しし
福音の真理をしめし 教会の拠るべき 唯一の正典なり
されば聖書は聖霊によりて 神につき 救いにつきて
全き知識を我らに与うる神の言にして
信仰と生活との 誤りなき規範なり
主イエス・キリストによりて啓示せられ
聖書において証せられる 唯一の神は
父・子・聖霊なる 三位一体の神にて いましたまう
御子は 我ら罪人の救いのために人と成り 十字架にかかり
ひとたび 己を 全き犠牲として 神にささげ
我らの贖いと なりたまえり
神は恵みをもて 我らを選び
ただキリストを信ずる信仰により 我らの罪を赦して義としたもう
この変らざる恵みのうちに
聖霊は 我らを潔めて 義の果を結ばしめ
その御業を成就したもう
教会は 主キリストのからだにして
恵みにより召されたる者の 集いなり
教会は公の礼拝を守り 福音を正しく宣べ伝え
バプテスマと主の晩餐との 聖礼典を執り行い
愛のわざ に励みつつ 主の再び来たりたもうを待ち望む
我らはかく信じ 代々の聖徒と共に 使徒信条を告白す

我は天地の造り主 全能の父なる神を信ず
我はその独り子 我らの主 イエス・キリストを信ず
主は聖霊によりてやどり おとめマリヤより生まれ
ポンテオ・ピラトのもとに 苦しみを受け 十字架につけられ
死にて葬られ 陰府にくだり 三日目に 死人のうちよりよみがえり
天に昇り、全能の父なる神の右に 座したまえり
かしこより来たりて 生ける者と 死ねる者とを 審きたまわん
我は聖霊を信ず 聖なる公同の教会
聖徒の交わり 罪の赦し
からだのよみがえり とこしえのいのちを信ず

アーメン



第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白
 わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。 今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。 わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して 負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。 まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、 主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
 わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、 諸宗教団体に統合と戦争のへの協力を、国策として要請いたしました。 わたくしどもはこの教団の成立と存続において、 わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、 深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。 「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。 まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、 祖国の歩みに対し正しい批判をなすべきでありました。 しかるにわたくしどもは教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、 その勝利のために祈り努めることを内外にむかって声明いたしました。 まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。 わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。 心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主のゆるしを願うとともに、 世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、 またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。 終戦から20余年を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、 今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、 ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。 この時点においてわたくしどもは、教団が再びそのあやまちを繰り返すことなく、 日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、 主の助けと導きを祈り求めつつ、明日に向かっての決意を表明するものであります。

1967年3月26日 復活主日 日本基督教団総会議長 鈴木正久