ハイデルベルク信仰問答
序 唯一の慰め
第01
主日
問001 生きている時も、死ぬ時も、あなたのただひとつの慰めは、何ですか。 回答
問002 それならば、あなたがこの慰めの中に祝福されて生き、また死ぬことが出来るために、 あなたはいくつのことを知らなければなりませんか。 回答
第1部 人間のみじめさについて
第02
主日
問003 何によってあなたは、あなたがみじめなことを認めることが出来ますか。 回答
問004 神の律法は、私たちに何を要求するのですか。 回答
問005 あなたは、これらすべてを完全に守ることが出来ますか。 回答
第03
主日
問006 神が人間をそんなに邪悪で歪(ゆが)んだ存在に、創造されたのでしょうか。 回答
問007 人間のそのような腐敗した性質は、何に由来するのですか。 回答
問008 私たちはとても堕落しているために、何か良いことに対してまったく無力であり、あらゆる悪の方向へと進んでいく傾向があるのですか。 回答
第04
主日
問009 神がその律法において、人間に出来ないことを人間に対して要求されることは、神が人間に対して不正を行っていることになるのではありませんか。 回答
問010 神はこのような不従順と背反とを、罰しないでおかれるつもりなのでしょうか。 回答
問011 神は憐れみ深い御方でもあるのではありませんか。 回答
第2部 人間の救いについて
仲 保 者
第05
主日
問012 わたしたちが神のただしい裁きによって、この世と永遠との刑罰に値するのであれば、この刑罰を逃れ、再び恵みにあずかるには、どうすればよいのですか。 回答
問013 しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができるでしょうか。 回答
問014 それでは、誰か、ほかの、被造物である何かが わたしたちのために償うことができるのですか。 回答
問015 それでは、わたしたちは どのような仲保者 、また救い主を求めなければならないのですか。 回答
第06
主日
問016 なぜその方は、まことの、ただしい人間でなければならないのですか。 回答
問017 なぜその方は、同時にまことの神でなければならないのですか。 回答
問018 それでは、まことの神であると同時に まことのただしい人間でもある、その仲保者とはいったいどなたですか。 回答
問019 どうして、あなたは、それを知ることができるのですか。 回答
まことの信仰・使徒信条
第07
主日
問020 それでは、アダムを通して、すべての人が堕落したのと同様に、キリストを通してすべての人が救われるのですか。 回答
問021 まことの信仰とは何ですか。 回答
問022 それでは、キリスト者が信じるべきことは何ですか。 回答
問023 それはどのような内容のものですか。 回答
第08
主日
問024 これらの信仰箇条はどのように分けられますか。 回答
問025 ただひとりの神がおられるだけなのに、なぜあなたは父、子、聖霊と3通りに呼ぶのですか。 回答
父なる神について
第09
主日
問026 「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱える時、あなたは何を信じているのですか。 回答
第10
主日
問027 神の摂理について、あなたは何を理解していますか。 回答
問028 神の創造と摂理を知ることによって、わたしたちはどのような益を受けますか。 回答
子なる神について
第11
主日
問029 なぜ神の御子は「イエス」すなわち「救済者」と呼ばれるのですか。 回答
問030 それでは、自分の幸福や救いを、聖人や、自分自身や、そのほかのところに求めている人々は、唯一の救済者イエスを信じていると言えますか。 回答
第12
主日
問031 なぜこの方は「キリスト」すなわち「油注がれた者」と呼ばれるのですか。 回答
問032 なぜあなたが「キリスト」者と呼ばれるのですか。 回答
第13
主日
問033 わたしたちも神の子であるのに、なぜこの方は神の「独り子」と呼ばれるのですか。 回答
問034 あなたはなぜこの方を「我らの主」と呼ぶのですか。 回答
第14
主日
問035 「主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ」とはどういう意味ですか。 回答
問036 キリストの聖霊による受肉(じゅにく)と誕生によって、あなたはどのような益を受けますか。 回答
第15
主日
問037 「苦しみを受け」という言葉によって、あなたは何を理解しますか。 回答
問038 なぜその方は、裁判官「ポンテオ・ピラトのもとに」苦しみを受けられたのですか。 回答
問039 その方が「十字架につけられ」たことには、何か別の死に方をする以上の意味があるのですか。 回答
第16
主日
問040 なぜキリストは「死」を苦しまなければならなかったのですか。 回答
問041 なぜこの方は「葬られ」たのですか。 回答
問042 すでに、キリストがわたしたちのために死んでくださったのなら、どうしてわたしたちも死ななければならないのですか。 回答
問043 十字架上でのキリストの犠牲と死から、わたしたちはさらにどのような益を受けますか。 回答
問044 なぜ「陰府(よみ)にくだり」と続くのですか。 回答
第17
主日
問045 キリストの「よみがえり(復活)」は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。 回答
問046 あなたは「天にのぼり(昇天)」をどのように理解しますか。 回答
問047 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。 回答
問048 しかし、人性が神性のある所どこにでもある、というわけではないのならば、キリストの2つの性質は 互いに分離しているのではありませんか。 回答
第18
主日
問049 キリストの昇天は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。 回答
問050 なぜ「神の右に座したまえり」と付け加えるのですか。 回答
第19
主日
問051 わたしたちの頭(かしら)であるキリストのこの栄光は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。 回答
問052 「生ける者と死ねる者とを審(さば)」かれるためのキリストの再臨は、あなたをどのように慰めるのですか。 回答
聖霊なる神について
第20
主日
問053 「聖霊」について、あなたは何を信じていますか。 回答
第21
主日
問054 「聖なる公同(こうどう)の教会」について、あなたは何を信じていますか。 回答
問055 「聖徒の交わり」について、あなたは何を理解していますか。 回答
問056 「罪のゆるし」について、あなたは何を信じていますか。 回答
第22
主日
問057 「身体(からだ)のよみがえり」は、あなたにどのような慰めを与えますか。 回答
問058 「永遠(とこしえ)の生命」という箇条は、あなたにどのような慰めを与えますか。 回答
第23
主日
問059 それでは、これらすべてを信じることは、あなたにとって今どのような助けになりますか。 回答
問060 どのようにしてあなたは神の御前で義とされるのですか。 回答
問061 なぜあなたは信仰によってのみ義とされる、と言うのですか。 回答
第24
主日
問062 なぜ、わたしたちの善い行いは、神の御前で義またはその一部にすら なることができないのですか。 回答
問063 それならば、わたしたちの善い行いについて、神がこの世と後の世で それに報いてくださるというのに、それでも何の値打ちもないのですか。 回答
問064 この教えは、無分別で不遜・放縦(ほうじゅう)な人々を作るのではありませんか。 回答
聖礼典について
第25
主日
問065 ただ信仰のみが、わたしたちをキリストとそのすべての恵みにあずからせるのだとすれば、そのような信仰はどこから来るのですか。 回答
問066 聖礼典とは何ですか。 回答
問067 それでは、御言葉と礼典というこれら2つのことは、わたしたちの救いの唯一の土台である 十字架上のイエス・キリストの犠牲へと、わたしたちの信仰を向けるためにあるのですか。 回答
問068 新約において、キリストはいくつの礼典を制定なさいましたか。 回答
洗礼について
第26
主日
問069 あなたは聖なる洗礼において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲があなたの益になることを、どのように思い起こし また確信させられるのですか。 回答
問070 キリストの血と霊とによって洗われるとは、どういうことですか。 回答
問071 わたしたちが洗礼の水によるのと同じく、この方の血と霊とによって確実に洗っていただけるということを、キリストはどこで約束なさいましたか。 回答
第27
主日
問072 それでは、外的な水の洗いは、罪の洗い清めそのものなのですか。 回答
問073 それではなぜ、聖霊は洗礼を「新たに造りかえる洗い」とか「罪の洗い清め」と呼んでおられるのですか。 回答
問074 幼児にも洗礼を授けるべきですか。 回答
イエス・キリストの聖晩餐について
第28
主日
問075 あなたは聖晩餐において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲とそのすべての益にあずかっていることを、どのように思い起こし また確信させられるのですか。 回答
問076 十字架につけられたキリストの体を食べ、その流された血を飲むとはどういうことですか。 回答
問077 信徒がこの裂かれたパンを食べ、この杯から飲むのと同様に確実に、ご自分の体と血とをもって彼らを養いまた潤(うるお)してくださると、キリストはどこで約束なさいましたか。 回答
第29
主日
問078 それでは、パンとぶどう酒が キリストの体と血そのものになるのですか。 回答
問079 それではなぜ、キリストは、パンを御自分の体、杯を御自分の血 またその血による新しい契約とお呼びになり、聖パウロは、イエス・キリストの体と血にあずかる、と言うのですか。 回答
第30
主日
問080 主の晩餐と教皇のミサとの違いは何ですか。 回答
問081 どのような人が、主の食卓に来るべきですか。 回答
問082 それでは、その信仰告白と生活によって不信仰と背信とを示している人々でも、この晩餐にあずかれるのですか。 回答
第31
主日
問083 鍵の務めとは何ですか。 回答
問084 聖なる福音の説教によって、天の国はどのように開かれ、また閉ざされるのですか。 回答
問085 キリスト教的戒規によって、天の国はどのように開かれ、また閉ざされるのですか。 回答
第3部 感謝について
全生活にわたる感謝
第32
主日
問086 わたしたちが自分の悲惨さから、自分のいかなる功績にもよらず、恵みによりキリストを通して救われているのならば、なぜわたしたちは善い行いをしなければならないのですか。 回答
問087 それでは、感謝も回心もない歩みから神へと立ち帰らない人々は、祝福されることができないのですか。 回答
第33
主日
問088 人間のまことの悔い改めまたは回心は、いくつのことから成っていますか。 回答
問089 古い人の死滅とは何ですか。 回答
問090 新しい人の復活とは何ですか。 回答
問091 しかし、善い行いとはどのようなものですか。 回答
十戒について
第34
主日
問092 主の律法とはどのようなものですか。 回答
問093 これらの戒めはどのように分かれていますか。 回答
問094 第1戒で、主は何を求めておられますか。 回答
問095 偶像崇拝とは何ですか。 回答
第35
主日
問096 第2戒で、神は何を望んでおられますか。 回答
問097 それならば、人はどのような画・像も造ってはならないのですか。 回答
問098 しかし、画・像は、信徒のための書物として、教会で許されてもよいのではありませんか。 回答
第36
主日
問099 第3戒は何を求めていますか。 回答
問100 それでは、呪いや誓約によって神の御名を冒涜することは、それをできうる限り阻止したり 禁じたりしようとしない人々にも、神がお怒りになるほど、重い罪なのですか。 回答
第37
主日
問101 神の御名によって敬虔に誓うことはよいのですか。 回答
問102 聖人や他の被造物によって誓うことはよいのですか。 回答
第38
主日
問103 第4戒で、神は何を望んでおられますか。 回答
第39
主日
問104 第5戒で、神は何を望んでおられますか。 回答
第40
主日
問105 第6戒で、神は何を望んでおられますか。 回答
問106 しかし、この戒めは、殺すことについてだけ、語っているのではありませんか。 回答
問107 しかし、わたしたちが自分の隣人を そのようにして殺さなければ、それで十分なのですか。 回答
第41
主日
問108 第7戒は、何を求めていますか。 回答
問109 神はこの戒めで、姦淫とそのような汚らわしいこと以外は、禁じておられないのですか。 回答
第42
主日
問110 第8戒で、神は何を禁じておられますか。 回答
問111 それでは、この戒めで、神は何を命じておられるのですか。 回答
第43
主日
問112 第9戒では、何が求められていますか。 回答
第44
主日
問113 第10戒では、何が求められていますか。 回答
問114 それでは、神へと立ち帰った人たちは、このような戒めを完全に守ることができるのですか。 回答
問115 この世においては、だれも十戒を守ることができないのに、なぜ神はそれほどまで厳しく、わたしたちにそれらを説教させようとなさるのですか。 回答
祈りについて
第45
主日
問116 なぜキリスト者には祈りが必要なのですか。 回答
問117 神に喜ばれ、この方に聞いていただけるような祈りには、何が求められますか。 回答
問118 神はわたしたちに、何を求めるようにとお命じになりましたか。 回答
問119 主の祈りとはどのようなものですか。 回答
第46
主日
問120 なぜキリストはわたしたちに、神に対して「われらの父よ」と呼びかけるようにお命じになったのですか。 回答
問121 なぜ「天にまします」と付け加えられているのですか。 回答
第47
主日
問122 第1の願いは何ですか。 回答
第48
主日
問123 第2の願いは何ですか。 回答
第49
主日
問124 第3の願いは何ですか。 回答
第50
主日
問125 第4の願いは何ですか。 回答
第51
主日
問126 第5の願いは何ですか。 回答
第52
主日
問127 第6の願いは何ですか。 回答
問128 あなたはこの祈りを、どのように結びますか。 回答
問129 「アーメン」という言葉は、何を意味していますか。 回答




ハイデルベルク信仰問答(答)
序 唯一の慰め
第01
主日

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問001 生きている時も、死ぬ時も、あなたのただひとつの慰めは、何ですか。 戻る

私が、からだも魂も、生きている時も死ぬ時も、私のものではなく、 私の真実なる救い主イエス・キリストのものであることです。
主は私のすべての罪のために、 その尊い血潮をもって支払いをしてくださり、私を悪魔のすべての力から救い出し、 また今も守ってくださいますので、天にいますわたしの父の御心によらないでは、 私の頭からは1本の髪の毛も落ちることは出来ないし、実に、すべてのことが当然、私の祝福に役立つようになっているのです。
従って、主はその聖霊によってもまた、私に永遠の生命を保証し、私が心から喜んで、その後は主のために生きることの出来るようにしてくださるのです。

ヤコブよ、あなたを創造された主は
イスラエルよ、あなたを造られた主は
今、こう言われる。
恐れるな、わたしはあなたを贖う。
あなたはわたしのもの。
わたしはあなたの名を呼ぶ。
(イザヤ書43:1)

わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。
(ローマの信徒への手紙14:7、8)

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
(ヨハネによる福音書15:16)


問002 それならば、あなたがこの慰めの中に祝福されて生き、また死ぬことが出来るために、 あなたはいくつのことを知らなければなりませんか。 戻る

3つのことです。
第1には、私の罪と私の悲惨とが、どんなに大きいかということ、
第2には、私がどのようにして、私のあらゆる罪と私の一切の悲惨から救われるかということ、
第3には、私がどんなに、この救いに対して神に感謝すべきかということです。

それから、わたしを呼ぶがよい。
苦難の日、わたしはお前を救おう。
そのことによって
お前はわたしの栄光を輝かすであろう。
(詩編50:15)

わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。
(ローマの信徒への手紙7:24、25)


第1部 人間のみじめさについて
第02
主日

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問003 何によってあなたは、あなたがみじめなことを認めることが出来ますか。 戻る

神の律法によります。

あなたはわたしたちの罪を御前に
隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。
(詩編90:8)

なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
(ローマの信徒への手紙3:20)

問004 神の律法は、私たちに何を要求するのですか。 戻る

キリストは律法の内容をマタイによる福音書22章の中にまとめました。

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第1の掟である。 第2も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 律法全体と預言者は、この2つの掟に基づいている。」
(マタイによる福音書22:37−40)


問005 あなたは、これらすべてを完全に守ることが出来ますか。 戻る

出来ません。なぜなら、生まれたときから、神と隣人とを憎む傾向にあるからです。

主は宥(なだ)めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。
(創世記8:21)

あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
(マタイによる福音書7:16)

第03
主日

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問006 神が人間をそんなに邪悪で歪(ゆが)んだ存在に、創造されたのでしょうか。 戻る

いいえ。
むしろ神は人を良いものに、また御自分にかたどって、すなわち、まことの義と聖において創造なさいました。それは、人が自らの造り主なる神をただしく知り、心から愛し、永遠の幸いの内を神と共に生き、そうして神をほめ歌い、讃美するためでした。

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
(創世記1:27)

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
(エフェソの信徒への手紙2:10)


問007 人間のそのような腐敗した性質は、何に由来するのですか。 戻る

わたしたちの始祖アダムとエバの、楽園における堕落と不従順からです。それで、わたしたちの本性はこのように毒され、わたしたちは皆、罪のうちにはらまれて、生まれてくるのです。

このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
(ローマの信徒への手紙5:12)

わたしは咎のうちに産み落とされ
母がわたしを身ごもったときも
わたしは罪のうちにあったのです。
(詩編51:7)


問008 私たちはとても堕落しているために、何か良いことに対してまったく無力であり、あらゆる悪の方向へと進んでいく傾向があるのですか。 戻る

そうです。わたしたちが神の霊によって新しく生まれないかぎりは。

わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。
(ローマの信徒への手紙7:15)

イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。
(ヨハネによる福音書8:34)


第04
主日

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問009 神がその律法において、人間に出来ないことを人間に対して要求されることは、神が人間に対して不正を行っていることになるのではありませんか。 戻る

そうではありません。
なぜなら、神は人がそれを行えるように、人を創造されたからです。にもかかわらず、人が悪魔にそそのかされ、身勝手な不従順によって、自分自身とそのすべての子孫から、この賜物を奪い去ったのです。

あなたは正しく行動されました。あなたは忠実に行動されました。しかし、わたしたちはあなたに背いてしまいました。
(ネヘミヤ記9:33)

あなたは久しい昔に軛を折り
手綱を振り切って
「わたしは仕えることはしない」と言った。
あなたは高い丘の上
緑の木の下と見ればどこにでも
身を横たえて遊女となる。
わたしはあなたを、甘いぶどうを実らせる
確かな種として植えたのに
どうして、わたしに背いて
悪い野ぶどうに変わり果てたのか。
(エレミヤ書2:20−21)

問010 神はこのような不従順と背反とを、罰しないでおかれるつもりなのでしょうか。 戻る

断じてそうではありません。
それどころか、神は生まれながらの罪についても、実際に犯した罪についても、激しく怒っておられ、それらをただしい裁きによって この世においても永遠にわたっても 罰したもうのです。それは、
「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている(ガラテヤの信徒への手紙3:10)」 「この律法の言葉を守り行わない者は呪われる。(申命記27:26)」 と、神がお語りになったとおりです。

不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。
(ローマの信徒への手紙1:18)

思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。
(ガラテヤの信徒への手紙6:7)


問011 神は憐れみ深い御方でもあるのではありませんか。 戻る

確かに神は憐れみ深い方ですが、またただしい方でもあられます。ですから、神の義は、神の何ものよりも高い尊厳に対して犯される罪が、同じく最高の、すなわち永遠の刑罰をもって、体と魂とを罰することを、要求するのです。

あなたは、決して
逆らう者を喜ぶ神ではありません。
悪人は御もとに宿ることを許されず
誇り高い者は御目に向かって立つことができず
悪を行う者はすべて憎まれます。
(詩編5:5−6)

罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。
(ローマの信徒への手紙6:23)


第2部 人間の救いについて
仲 保 者
第05
主日

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問012 わたしたちが神のただしい裁きによって、この世と永遠との刑罰に値するのであれば、この刑罰を逃れ、再び恵みにあずかるには、どうすればよいのですか。 戻る

神は、御自身の義が満たされることを望んでおられます。ですから、わたしたちはそれに対して、自分自身によってか、あるいは他のものによって、完全な償いをしなければなりません。

イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。だからこそ、わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」
(エズラ記9:15)

はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
(マタイによる福音書5:26)

※クァドランスはローマの青銅貨でデナリオンの64分の1。1デナリオン=1日の賃金。

問013 しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができるでしょうか。 戻る

決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています。

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
(マタイによる福音書16:26)

災いだ、背く子らは、と主は言われる。
彼らは謀(はかりごと)を立てるが
わたしによるのではない。
盟約の杯を交わすが
わたしの霊によるのではない。
こうして、罪に罪を重ねている。
(イザヤ書30:1)


問014 それでは、誰か、ほかの、被造物である何かが わたしたちのために償うことができるのですか。 戻る

いいえ、できません。
なぜなら、第一に、神は人間が犯した罪の罰を、他の被造物に加えようとはなさらないからです。
従って、第二に、被造物に過ぎないものが、罪に対する神の永遠の怒りの重荷に耐え、かつ他のものをそこから救うことなど、できないからです。

神が罪を犯すことは決してない。全能者は正義を曲げられない。
(ヨブ記34:12)

神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
神に身代金を払うことはできない。
魂を贖う値は高く
とこしえに、払い終えることはない。
(詩編49:8−9)


問015 それでは、わたしたちは どのような仲保者 、また救い主を求めなければならないのですか。 戻る

まことの、ただしい人間であると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわち、まことの神でもあられるお方です。

第06
主日

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問016 なぜその方は、まことの、ただしい人間でなければならないのですか。 戻る

なぜなら、神の義は、罪を犯した人間自身がその罪を償(つぐな)うことを求めていますが、自ら罪人であるような人が、他の人の償(つぐな)いをすることなどできないからです。

それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
(ヘブライ人への手紙2:17)

一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
(ローマの信徒への手紙5:19)


問017 なぜその方は、同時にまことの神でなければならないのですか。 戻る

その方が、御自分の神性の力によって、神の怒りの重荷をその人間性において耐え忍び、わたしたちのために義と命とを獲得し、それらを再びわたしたちに与えてくださるためです。

あなた自ら保証人となってください。
ほかの誰が
わたしの味方をしてくれましょう。
(ヨブ記17:3)

このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです。
(ヘブライ人への手紙7:26)


問018 それでは、まことの神であると同時に まことのただしい人間でもある、その仲保者とはいったいどなたですか。 戻る

わたしたちの主イエス・キリストです。この方は、完全な贖(あがな)いと義のために、わたしたちに与えられているお方なのです。

神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。
(テモテへの手紙一2:5−6)

神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。
(コリントの信徒への手紙一1:30)


問019 どうして、あなたは、それを知ることができるのですか。 戻る

聖なる福音によってです。それを神は自ら、まず楽園で啓示し、その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣(の)べ伝え、律法による犠牲や他の儀式によって象(かたちど)り、御自身の愛する御子によって、ついに成就なさいました。

あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。
(ヨハネによる福音書5:39)

また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」
(使徒言行録10:43)


まことの信仰・使徒信条
第07
主日

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問020 それでは、アダムを通して、すべての人が堕落したのと同様に、キリストを通してすべての人が救われるのですか。 戻る

いいえ。まことの信仰によって この方と結び合わされ、そのすべての恵みを受け入れる人だけが救われるのです。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
(ヨハネによる福音書3:16−18)


問021 まことの信仰とは何ですか。 戻る

それは、神が御言葉において、わたしたちに啓示されたことすべてを、わたしが真実であると確信する、その確かな認識のことだけでなく、福音を通して聖霊がわたしのうちに起こしてくださる、心からの信頼のことでもあります。
それによって、他の人々のみならず、このわたしにも、罪の赦しと永遠の救いとが神から与えられるのです。それは全く恵みにより、ただキリストの功績によるものです。

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
(ヘブライ人への手紙11:1)

事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。
(エフェソの信徒への手紙2:8)


問022 それでは、キリスト者が信じるべきことは何ですか。 戻る

福音においてわたしたちに約束されていることすべてです。わたしたちの公同(こうどう)の疑いなきキリスト教信仰箇条が、それを要約して教えています。

だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。
(テモテへの手紙二3:14)

しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。
(ガラテヤの信徒への手紙1:8)


問023 それはどのような内容のものですか。 戻る

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、
天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、
かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。
我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の命を信ず。

(現代語文)
わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。
わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、
死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、
天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。
そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。
わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、
からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。

第08
主日

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問024 これらの信仰箇条はどのように分けられますか。 戻る

3つに分けられます。
第1に、父なる神と、わたしたちの創造について、
第2に、子なる神と、わたしたちの贖いについて、
第3に、聖霊なる神と、わたしたちの聖化についてです。

問025 ただひとりの神がおられるだけなのに、なぜあなたは父、子、聖霊と3通りに呼ぶのですか。 戻る

それは、神が御自身についてそのように、すなわち、これら3つの位格が、唯一の、まことの、永遠の神であると、その御言葉において啓示なさったからです。

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。
(申命記6:4)

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
(コリントの信徒への手紙二13:13)


父なる神について
第09
主日

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問026 「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱える時、あなたは何を信じているのですか。 戻る

天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって今も保ち支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の御父(おんちち)が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる、ということです。
わたしはこの方により頼んでいますので、この方が体と魂に必要なものすべてを わたしに備えてくださること、また、たとえこの涙の谷間へ いかなる災いをくだされたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、信じて疑わないのです。
なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです。

※「涙の谷間」という言葉は、「悩み多い生涯」と理解して良いでしょう。

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
(ヘブライ人への手紙11:3)

主よ、人間とは何ものなのでしょう
あなたがこれに親しまれるとは。
人の子とは何ものなのでしょう
あなたが思いやってくださるとは。
(詩編144:3)

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
(ローマの信徒への手紙8:28)


第10
主日

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問027 神の摂理について、あなたは何を理解していますか。 戻る

全能かつ現実の、神の力です。それによって神は天と地とすべての被造物を、いわばその御手をもって 今なお保ち また支配しておられるので、木の葉も 草も、雨も ひでりも、豊作の年も 不作の年も、食べ物も 飲み物も、健康も 病も、富も 貧困も、すべてが偶然によることなく 父親としての御手によって、わたしたちにもたらされるのです。

日の昇るところから日の沈むところまで
人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。
わたしが主、ほかにはいない。
光を造り、闇を創造し
平和をもたらし、災いを創造する者。
わたしが主、これらのことをするものである。
(イザヤ書45:6−7)

二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
(マタイによる福音書10:29−30)


問028 神の創造と摂理を知ることによって、わたしたちはどのような益を受けますか。 戻る

わたしたちが逆境においては忍耐強く、順境においては感謝し、将来については わたしたちの真実な父なる神をかたく信じ、どんな被造物もこの方の愛からわたしたちを引き離すことはできないと確信できるようになる、ということです。なぜなら、あらゆる被造物はこの方の御手の中にあるので、御心によらないでは動くことも 動かされることも できないからです。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
(ヨブ記1:21)

そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
(エフェソの信徒への手紙5:20)

わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。
(ローマの信徒への手紙8:38−39)


子なる神について
第11
主日

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問029 なぜ神の御子は「イエス」すなわち「救済者」と呼ばれるのですか。 戻る

それは、この方がわたしたちを わたしたちの罪から救ってくださるからであり、唯一の救いをほかの誰かに求めたり、ましてや見出すことなどできないからです。

マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
(マタイによる福音書1:21)

ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
(使徒言行録4:12)


問030 それでは、自分の幸福や救いを、聖人や、自分自身や、そのほかのところに求めている人々は、唯一の救済者イエスを信じていると言えますか。 戻る

いいえ。
たとえ彼らがこの方を誇っていたとしても、その行いにおいて、彼らは唯一の救済者また救い主であられるイエスを否定しているのです。
なぜなら、イエスが完全な救い主ではないとするか、そうでなければ、この救い主を真実な信仰をもって受け入れ、自分の救いに必要なことすべてを この方のうちに持たねばならないとするか、そのどちらかだからです。

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2:17)

律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。
(ガラテヤの信徒への手紙5:4)


第12
主日

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問031 なぜこの方は「キリスト」すなわち「油注がれた者」と呼ばれるのですか。 戻る

なぜなら、この方は父なる神から次のように任職され、聖霊によって油注がれたからです。すなわち、わたしたちの最高の預言者また教師として、わたしたちの贖(あがな)いに関する 神の隠された熟慮と御意志とを、余すところなく わたしたちに啓示し、わたしたちの唯一の大祭司として、御自分の体による唯一の犠牲によってわたしたちを贖(あがな)い、御父(おんちち)の御前で わたしたちのために絶えず執り成し、わたしたちの永遠の王として、御自分の言葉と霊とによって わたしたちを治め、獲得なさった贖(あがな)いのもとに わたしたちを守り保ってくださるのです。

あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。
(申命記18:15)

しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
(ヘブライ人への手紙7:24−25)

そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
(ヨハネによる福音書18:37)


問032 なぜあなたが「キリスト」者と呼ばれるのですか。 戻る

なぜなら、わたしは信仰によってキリストの一部となり、その油注ぎにあずかっているからです。それは、わたしもまた この方の御名を告白し、生きた感謝の献げ物として 自らをこの方に献げ、この世においては自由な良心をもって 罪や悪魔と戦い、ついには全被造物を この方と共に永遠に支配するようになるからです。

そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。
(コロサイの信徒への手紙3:17)

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです
(ペトロの手紙一2:9)


第13
主日

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問033 わたしたちも神の子であるのに、なぜこの方は神の「独り子」と呼ばれるのですか。 戻る

なぜなら、キリストだけが 永遠からの本来の神の御子だからです。わたしたちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
(ヨハネによる福音書1:14)

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
(ガラテヤの信徒への手紙3:26)


問034 あなたはなぜこの方を「我らの主」と呼ぶのですか。 戻る

この方が、金や銀ではなく御自身の尊い血によって、わたしたちを罪と悪魔のすべての力から解放し、また買い取ってくださり、わたしたちの体も魂も、すべてを御自分のものとしてくださったからです。

キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
(テトスへの手紙2:14)

知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。
(ペトロの手紙一1:18−19)


第14
主日

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問035 「主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ」とはどういう意味ですか。 戻る

永遠の神の御子、すなわち、まことの永遠の神であり またあり続けるお方が、聖霊の働きによって、処女(おとめ)マリヤの肉と血から、まことの人間性をお取りになった、ということです。それは、御自身もまた ダビデのまことの子孫となり、罪を別にしては すべての点で兄弟たちと同じようになるためでした。

しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
(ガラテヤの信徒への手紙4:4)

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
(フィリピの信徒への手紙2:6−7)


問036 キリストの聖霊による受肉(じゅにく)と誕生によって、あなたはどのような益を受けますか。 戻る

この方がわたしたちの仲保者(ちゅうほしゃ)であられ、御自身の無罪性と完全なきよさとによって、罪のうちにはらまれたわたしのその罪を、神の御顔(みかお)の前で覆(おお)ってくださる、ということです。

けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。
(ヘブライ人への手紙9:11−12)

あなたがたも知っているように、御子は罪を除くために現れました。御子には罪がありません。
(ヨハネの手紙一3:5)


第15
主日

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問037 「苦しみを受け」という言葉によって、あなたは何を理解しますか。 戻る

キリストがその地上での全生涯、とりわけその終わりにおいて、全人類の罪に対する神の御怒(みいか)りを体と魂に負われた、ということです。
それは、この方が唯一の犠牲(いけにえ)として、御自身の苦しみによって、わたしたちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、わたしたちのために、神の恵みと義と永遠の命とを 獲得してくださるためでした。

彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
(イザヤ書53:4−5)

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」
(マタイによる福音書20:28)


問038 なぜその方は、裁判官「ポンテオ・ピラトのもとに」苦しみを受けられたのですか。 戻る

それは、罪のないこの方が、この世の裁判官による刑罰をお受けになることによって、わたしたちに下されるはずの神の厳しい審判から、わたしたちを免れさせるためでした。

彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。
わたしの僕は、
多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
(イザヤ書53:11)

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。
(ヨハネによる福音書1:29)


問039 その方が「十字架につけられ」たことには、何か別の死に方をする以上の意味があるのですか。 戻る

その通りです。それによってわたしは、この方が、わたしの上にかかっていた呪いを、御自身の上に引き受けてくださったことを、確信するのです。なぜなら、十字架の死は、神に呪われたものだからです。

キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
(ガラテヤの信徒への手紙3:13)


第16
主日

戻る
問040 なぜキリストは「死」を苦しまなければならなかったのですか。 戻る

なぜなら、神の義と真実のゆえに、神の御子の死による以外には、わたしたちの罪を償う道は、なかったからです。

ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。
(ヘブライ人への手紙2:14−15)

イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。
(ローマの信徒への手紙4:25)

問041 なぜこの方は「葬られ」たのですか。 戻る

それによって、この方が本当に死なれたということを 証しするためです。

死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
(コリントの信徒への手紙一15:21)

このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。
(ヨハネの手紙二1:7)


問042 すでに、キリストがわたしたちのために死んでくださったのなら、どうしてわたしたちも死ななければならないのですか。 戻る

わたしたちの死は、自分の罪に対する償いなのではなく、むしろ罪との死別であり、永遠の命への入り口なのです。

最後の敵として、死が滅ぼされます。
(コリントの信徒への手紙一15:26)

わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
(フィリピの信徒への手紙1:21)


問043 十字架上でのキリストの犠牲と死から、わたしたちはさらにどのような益を受けますか。 戻る

この方の御力によって、わたしたちの古い自分がこの方と共に十字架につけられ、死んで、葬られる、ということです。
それによって、肉の邪悪な欲望が もはやわたしたちを支配することなく、かえってわたしたちは、自分自身を感謝のいけにえとして、この方へ献げるようになるのです。

わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。
(ローマの信徒への手紙6:6)

その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
(コリントの信徒への手紙二5:15)


問044 なぜ「陰府(よみ)にくだり」と続くのですか。 戻る

それは、わたしが最も激しい試みの時にも 次のように確信するためです。
すなわち、わたしの主キリストは、十字架上とそこに至るまで、御自身もまたその魂において忍ばれてきた 言い難い不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みから わたしを解放してくださったのだ、と。

天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。
(詩編139:8)

「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
(コリントの信徒への手紙一15:54−55)


第17
主日

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問045 キリストの「よみがえり(復活)」は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。 戻る

第1に、この方がそのよみがえりによって死に打ち勝たれ、そうして、御自身の死によって わたしたちのために獲得された義に、わたしたちをあずからせてくださる、ということ。
第2に、その御力によってわたしたちも、今や新しい命に生き返らされている、ということ。
第3に、わたしたちにとって、キリストのよみがえりは、わたしたちの祝福に満ちたよみがえりの確かな保証である、ということです。

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え…
(ペトロの手紙一1:3)

罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
(エフェソの信徒への手紙2:5−6)

しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
(コリントの信徒への手紙一15:20−21)


問046 あなたは「天にのぼり(昇天)」をどのように理解しますか。 戻る

キリストが弟子たちの目の前で地上から天に上げられ、生きている者と死んだ者とを裁くために 再び来られる時まで、わたしたちのために そこにいてくださる、ということです。

「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
(使徒言行録1:11)

さて、わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。
(ヘブライ人への手紙4:14)


問047 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。 戻る

キリストは、まことの人間であり まことの神であられます。
この方は、その人間としての御性質においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊においては、片時もわたしたちから離れてはおられないのです。

わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」
(ヨハネによる福音書16:28)

あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
(マタイによる福音書28:20)


問048 しかし、人性が神性のある所どこにでもある、というわけではないのならば、キリストの2つの性質は 互いに分離しているのではありませんか。 戻る

決してそうではありません。
なぜなら神性は捉(とら)えることができず、どこにでも臨在(りんざい)するのですから、確かにそれが取った人性の外にもあれば、同時に人性の内にもあって、絶えず人性と人格的に結合しているのです。

わたしはただ近くにいる神なのか、と主は言われる。
わたしは遠くからの神ではないのか。
誰かが隠れ場に身を隠したなら
わたしは彼を見つけられないと言うのかと
主は言われる。
天をも地をも、わたしは満たしているではないかと
主は言われる。
(エレミヤ書23:23−24)

キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており…
(コロサイの信徒への手紙2:9)

天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
(ヨハネによる福音書3:13)


第18
主日

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問049 キリストの昇天は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。 戻る

第1に、この方が天において御父の面前で、わたしたちの弁護者となっておられる、ということ。第2に、わたしたちがその肉体を天において持っている、ということ。それは、頭(かしら)であるキリストが この方の一部であるわたしたちを御自身のもとにまで引き上げてくださる、ひとつの確かな保証である、ということです。
第3に、この方がその保証のしるしとして、御自身の霊をわたしたちに送ってくださる、ということ。その御力によってわたしたちは、地上のことではなく、キリストが神の右に座しておられる天上のことを求めるのです。

だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
(ローマの信徒への手紙8:34)

わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
(ヨハネによる福音書14:2−3)

しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
(ヨハネによる福音書16:7)

上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。
(コロサイの信徒への手紙3:2)


問050 なぜ「神の右に座したまえり」と付け加えるのですか。 戻る

なぜなら、キリストが天に昇られたのは、そこにおいて、御自身がキリストの教会の頭(かしら)であることをお示しになるためであり、この方によって御父は万物を統治なさるからです。

また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。
(コロサイの信徒への手紙1:18)

このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
(フィリピの信徒への手紙2:9−11)


第19
主日

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問051 わたしたちの頭(かしら)であるキリストのこの栄光は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。 戻る

第1に、この方が御自身の聖霊を通して、御自身の部分であるわたしたちのうちに、天からの賜物(たまもの)を注ぎ込んでくださる、ということ。
そして第2に、わたしたちをその御力によって、すべての敵から守り支えてくださる、ということです。

それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
(使徒言行録2:33)

これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
(ヨハネによる福音書16:33)

問052 「生ける者と死ねる者とを審(さば)」かれるためのキリストの再臨は、あなたをどのように慰めるのですか。 戻る

わたしがあらゆる悲しみや迫害の中でも頭を上げて、かつてわたしのために神の裁きに自らを差し出し、すべての呪いをわたしから取り去ってくださった、まさにその裁き主が天から来られることを 待ち望むように、です。
この方は、御自分とわたしの敵を ことごとく永遠の刑罰に投げ込まれる一方、わたしを、すべての選ばれた者たちと共にその御許(みもと)へ、すなわち天の喜びと栄光の中へと 迎え入れてくださるのです。

このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」
(ルカによる福音書21:28)

更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。
(テサロニケの信徒への手紙一1:10)

なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。
(コリントの信徒への手紙二5:10)


聖霊なる神について
第20
主日

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問053 「聖霊」について、あなたは何を信じていますか。 戻る

第1に、この方が御父や御子と同様に永遠の神であられる、ということ。
第2に、この方はわたしに与えられたお方でもあり、まことの信仰によって キリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、わたしを慰め、永遠にわたしと共にいてくださる、ということです。

人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
(コリントの信徒への手紙一2:11)

ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
(コリントの信徒への手紙一12:3)

わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
(ヨハネによる福音書14:16−17)


第21
主日

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問054 「聖なる公同(こうどう)の教会」について、あなたは何を信じていますか。 戻る

神の御子が、全人類の中から、御自身のために永遠の命へと選ばれたひとつの群れを、御自分の御霊(みたま)と御言葉とにより、まことの信仰の一致において、世の初めから終わりまで集め、守り、保たれる、ということ。
そしてまた、わたしがその群れの生きた肢(えだ)であり、今も、永遠にも、そうあり続ける、ということです。

しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。
(テサロニケの信徒への手紙二2:13−14)

平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
(エフェソの信徒への手紙4:3−6)

主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。
(コリントの信徒への手紙一1:8)


問055 「聖徒の交わり」について、あなたは何を理解していますか。 戻る

第1に、主キリストとこの方のあらゆる富と賜物にあずかっている、ということ。
第2に、各自は自分の賜物を、他の部分の益と救いとのために、自発的に喜んで用いる責任があるということを、わきまえなければならない、ということです。

むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。
(エフェソの信徒への手紙4:15)

体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
(コリントの信徒への手紙一12:12−13)

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
(ペトロの手紙一4:10)


問056 「罪のゆるし」について、あなたは何を信じていますか。 戻る

神が、キリストの償いのゆえに、わたしのすべての罪と、さらにわたしが生涯戦わなければならない罪深い性質をも、もはや覚えようとはなさらず、それどころか、恵みにより、キリストの義をわたしに与えて、裁きにあうことのないようにしてくださる、ということです。

わたし、このわたしは、
わたし自身のために
あなたの背きの罪をぬぐい
あなたの罪を思い出さないことにする。
(イザヤ書43:25)

つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
(コリントの信徒への手紙二5:19)


第22
主日

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問057 「身体(からだ)のよみがえり」は、あなたにどのような慰めを与えますか。 戻る

わたしの魂が、この生涯の後 直ちに、頭(かしら)なるキリストのもとへ迎え入れられる、というだけではなく、やがてわたしのこの体もまた、キリストの御力によって引き起こされ、再びわたしの魂と結び合わされて、キリストの栄光の御体と同じ形に変えられる、ということです。

キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。
(コリントの信徒への手紙一15:42)

愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。
(ヨハネの手紙一3:2)


問058 「永遠(とこしえ)の生命」という箇条は、あなたにどのような慰めを与えますか。 戻る

わたしが今、永遠の喜びの始まりを 心に感じているように、この生涯の後には、目が見もせず 耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったような 完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです。

永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
(ヨハネによる福音書17:3)

彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。
(ヨハネの黙示録21:4)


第23
主日

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問059 それでは、これらすべてを信じることは、あなたにとって今どのような助けになりますか。 戻る

わたしが、キリストにあって神の御前で義とされ、永遠の命の相続人となる、ということです。

御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。
(ヨハネによる福音書3:36)

わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
(ローマの信徒への手紙1:16−17)


問060 どのようにしてあなたは神の御前で義とされるのですか。 戻る

ただイエス・キリストを信じる、まことの信仰によってのみです。
すなわち、たとえわたしの良心がわたしに向かって、「お前は神の戒めすべてに対して、はなはだしく罪を犯しており、それを何一つ守ったこともなく、今なお絶えずあらゆる悪に傾いている」と責め立てたとしても、神は、わたしのいかなる功績にもよらず ただ恵みによって、キリストの完全な償いと義と聖とをわたしに与え、わたしのものとし、あたかもわたしが何一つ罪を犯したことも 罪人であったこともなく、キリストがわたしに代わって果たされた服従を、すべてわたし自身が成し遂げたかのように、みなしてくださいます。
そして、そうなるのはただ、わたしがこのような恩恵を 信仰の心で受け入れる時だけなのです。

人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
(ローマの信徒への手紙3:23−24)

そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。
(フィリピの信徒への手紙3:8−9)

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
(コリントの信徒への手紙二5:21)


問061 なぜあなたは信仰によってのみ義とされる、と言うのですか。 戻る

それは、わたしが自分の信仰の価値のゆえに神に喜ばれる、というのではなく、ただキリストの償いと義と聖だけが 神の御前におけるわたしの義なのであり、わたしは、ただ信仰による以外に、それを受け取ることも 自分のものにすることもできないからです。

従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。
(ローマの信徒への手紙9:16)

けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
(ガラテヤの信徒への手紙2:16)


第24
主日

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問062 なぜ、わたしたちの善い行いは、神の御前で義またはその一部にすら なることができないのですか。 戻る

なぜなら、神の裁きに耐えうる義とは、あらゆる点で完全であり、神の律法に全く一致するものでなければなりませんが、この世におけるわたしたちの最善の行いですら、ことごとく不完全であり、罪に汚れているからです。

従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。
(ガラテヤの信徒への手紙3:10)

律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。
(ヤコブの手紙2:10)


問063 それならば、わたしたちの善い行いについて、神がこの世と後の世で それに報いてくださるというのに、それでも何の値打ちもないのですか。 戻る

その報酬は、功績によるのではなく、恵みによるのです。

あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
(ルカによる福音書17:10)

あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。
(コリントの信徒への手紙一4:7)


問064 この教えは、無分別で不遜・放縦(ほうじゅう)な人々を作るのではありませんか。 戻る

いいえ。
なぜなら、まことの信仰によって キリストに接ぎ木された人々が、感謝の実を結ばないことなど、ありえないからです。

では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。
(ローマの信徒への手紙6:1−2)

良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
(マタイによる福音書7:18)


聖礼典について
第25
主日

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問065 ただ信仰のみが、わたしたちをキリストとそのすべての恵みにあずからせるのだとすれば、そのような信仰はどこから来るのですか。 戻る

聖霊が、わたしたちの心に 聖なる福音の説教を通してそれを起こし、聖礼典の執行を通してそれを確かにしてくださるのです。

実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
(ローマの信徒への手紙10:17)

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
(テモテへの手紙二3:16)


問066 聖礼典とは何ですか。 戻る

それは、神のよって制定された、目に見えるしるし また封印であって、神は、その執行を通して、福音の約束をよりよくわたしたちに理解させ、封印なさるのです。
その約束とは、十字架上で成就されたキリストの唯一の犠牲のゆえに、神が、恵みによって、罪の赦しと永遠の命とを わたしたちに注いでくださる、ということです。

わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
(創世記9:11)

味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
(詩編34:9)


問067 それでは、御言葉と礼典というこれら2つのことは、わたしたちの救いの唯一の土台である 十字架上のイエス・キリストの犠牲へと、わたしたちの信仰を向けるためにあるのですか。 戻る

そのとおりです。
なぜなら、聖霊が福音において教え、聖礼典を通して確証しておられることは、わたしたちのために十字架なされた キリストの唯一の犠牲に、わたしたちの救い全体がかかっている、ということだからです。

それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。
(ローマの信徒への手紙6:3)

だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
(コリントの信徒への手紙一11:26)


問068 新約において、キリストはいくつの礼典を制定なさいましたか。 戻る

2つです。聖なる洗礼と聖晩餐です。

洗礼について
第26
主日

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問069 あなたは聖なる洗礼において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲があなたの益になることを、どのように思い起こし また確信させられるのですか。 戻る

次のようにです。
キリストがこの外的な水の洗いを制定された時に約束なさったことは、わたしがわたしの魂の汚れ、すなわち、わたしのすべての罪を、この方の血と霊とによって確実に洗っていただける、ということ。そして、それは日頃、体の汚れを落としているその水で、わたしが外的に洗われているのと同じくらい確実である、ということです。

すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」
(使徒言行録2:38−39)

死んだ者は、罪から解放されています。
(ローマの信徒への手紙6:7)


問070 キリストの血と霊とによって洗われるとは、どういうことですか。 戻る

それは、十字架上での犠牲において、わたしたちのために流されたキリストの血のゆえに、恵みによって、神から罪の赦しを得る、ということです。さらに、聖霊によって新しくされ、キリストの一部分として聖別される、ということでもあります。それは、わたしたちが次第次第に罪に死に、いっそう敬虔で潔白な生涯を歩むためなのです。

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
(ガラテヤの信徒への手紙3:26−27)

更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
(ヘブライ人への手紙10:21−22)


問071 わたしたちが洗礼の水によるのと同じく、この方の血と霊とによって確実に洗っていただけるということを、キリストはどこで約束なさいましたか。 戻る

洗礼の制定の箇所に、このように記されています。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」、(「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」。)
この約束は、聖書が洗礼を「新たに造りかえる洗い」とか、「罪の洗い清め」と呼んでいる箇所でも、繰り返されています。

神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
(テトスへの手紙3:5)

今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。
(使徒言行録22:16)


第27
主日

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問072 それでは、外的な水の洗いは、罪の洗い清めそのものなのですか。 戻る

いいえ。
ただイエス・キリストの血と聖霊のみが、わたしたちをすべての罪から清めてくださるのです。

たとえ灰汁で体を洗い
多くの石灰を使っても
わたしの目には
罪があなたに染みついていると
主なる神は言われる。
(エレミヤ書2:22)

この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊”はこのことを証しする方です。“霊”は真理だからです。
(ヨハネの手紙一5:6)


問073 それではなぜ、聖霊は洗礼を「新たに造りかえる洗い」とか「罪の洗い清め」と呼んでおられるのですか。 戻る

神は何の理由もなく そう語っておられるのではありません。
すなわち、ちょうど体の汚れが、水によって除き去られるように、わたしたちの罪が キリストの血と霊とによって除き去られるということを、この方はわたしたちに教えようとしておられるのです。そればかりか、わたしたちが現実の水で洗われるように、わたしたちの罪から霊的に洗われることもまた現実であるということを、神はこの神聖な保証としるしとを通して、わたしたちに確信させようとしておられるのです。

あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。
(コリントの信徒への手紙一6:11)

まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。
(ヘブライ人への手紙9:14)


問074 幼児にも洗礼を授けるべきですか。 戻る

そうです。
なぜなら、彼らもおとなと同様に、神の契約とその民に属しており、キリストの血による罪の贖いと 信仰を生み出される聖霊とが、おとなに劣らず彼らにも確約されているからです。それゆえ、彼らもまた、契約のしるしとしての洗礼を通して、キリスト教会に接ぎ木され、未信者の子どもたちとは区別されるべきです。
そのことは、旧約においては割礼を通してされましたが、新約では洗礼がそれに代わって制定されているのです。

わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。
(創世記17:7)

この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。
(使徒言行録2:39)


イエス・キリストの聖晩餐について
第28
主日

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問075 あなたは聖晩餐において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲とそのすべての益にあずかっていることを、どのように思い起こし また確信させられるのですか。 戻る

次のようにです。
キリストは御自身を記念するため、この裂かれたパンから食べ、この杯から飲むようにと、わたしとすべての信徒にお命じになりましたが、その時にこう約束なさいました。
第1に、この方の体が確かにわたしのために、十字架上でささげられ、また引き裂かれ、その血がわたしのために流された、ということ。それは、主のパンがわたしのために裂かれ、杯がわたしのために分け与えられるのを、わたしが目の当たりにしているのと同様に確実である、ということ。
第2に、この方御自身が、その十字架につけられた体と流された血とをもって、確かに、永遠の命へとわたしの魂を養い、また潤してくださる、ということ。それは、キリストの体と血との確かなしるしとして、わたしに与えられた主のパンと杯とを、わたしが奉仕者の手から受け、また実際に食べるのと同様に確実である、ということです。

わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。
(ヨハネによる福音書6:51)

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
(ヨハネによる福音書6:54)


問076 十字架につけられたキリストの体を食べ、その流された血を飲むとはどういうことですか。 戻る

それは、キリストのすべての苦難と死とを、信仰の心をもって受け入れ、それによって罪の赦しと永遠の命とをいただく、ということ。それ以上にまた、キリストのうちにも、わたしたちのうちにも住んでおられる聖霊によって、その祝福された御体といよいよひとつにされていく、ということです。
それは、この方が天におられ、わたしたちは地にいるにもかかわらず、わたしたちがこの方の肉の肉、骨の骨となり、ちょうどわたしたちの体の諸部分がひとつの魂によってそうされているように、わたしたちがひとつの御霊によって、永遠に生かされ、また支配されるためなのです。

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
(ヨハネの黙示録3:20)

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
(ガラテヤの信徒への手紙2:20)


問077 信徒がこの裂かれたパンを食べ、この杯から飲むのと同様に確実に、ご自分の体と血とをもって彼らを養いまた潤(うるお)してくださると、キリストはどこで約束なさいましたか。 戻る

聖晩餐の制定の箇所に、次のように記されています。
わたしたちの「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『(取って食べなさい。)これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。
また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。
だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」。

この約束はまた聖パウロによって繰り返されており、そこで彼はこう述べています。
「わたしたちが神を讃美する讃美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンはひとつだから、わたしたちは大勢でもひとつの体です。皆がひとつのパンを分けて食べるからです」。

第29
主日

戻る
問078 それでは、パンとぶどう酒が キリストの体と血そのものになるのですか。 戻る

いいえ。
洗礼の水は、キリストの血に変わるのでも 罪の洗い清めそのものになるのでもなく、ただその神聖なしるし また保証にすぎません。そのように、晩餐の聖なるパンもまた、キリストの体そのものになるわけではなく、ただ礼典の性格と方法に従って、キリストの体と呼ばれているのです。

肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
(ヨハネによる福音書3:6)

命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
(ヨハネによる福音書6:63)

問079 それではなぜ、キリストは、パンを御自分の体、杯を御自分の血 またその血による新しい契約とお呼びになり、聖パウロは、イエス・キリストの体と血にあずかる、と言うのですか。 戻る


キリストは何の理由もなく、そう語っておられるのではありません。
すなわち、ちょうどパンとぶどう酒が、わたしたちのこの世の命を支えるように、十字架につけられたその体と流された血とが、永遠の命のために、わたしたちの魂のまことの食べ物、また飲み物になるということを、この方はわたしたちに教えようとしておられるのです。そればかりか、わたしたちが、これらの聖なるしるしをこの方の記念として、肉の口をもって受けるのと同様に現実に、聖霊のお働きによって、そのまことの体と血とにあずかっているということ。
そして、あたかもわたしたちが自分自身で、すべてを苦しみまた十分成し遂げたかのように、この方のあらゆる苦難と従順とが、確かにわたしたち自身のものとされているということを、この方は目に見えるしるしと保証を通して、わたしたちに確信させようとしておられるのです。

わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。
(コリントの信徒への手紙一10:16)

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
(ヨハネによる福音書6:35)


第30
主日

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問080 主の晩餐と教皇のミサとの違いは何ですか。 戻る

主の晩餐がわたしたちに証することは、イエス・キリスト御自身が、ただ1度十字架上で成就してくださった、その唯一の犠牲によって、わたしたちが自分のすべての罪の完全な赦しをいただいているということ。また、わたしたちが聖霊によって、キリストに接ぎ木されている、ということです。この方は、今そのまことの体と共に、天の御父(おんちち)の右におられ、そこで礼拝されることを望んでおられます。
しかし、ミサが教えることは、今も日ごとに司祭たちによって、キリストが彼らのために献げられなければ、生きている者も死んだ者も、キリストの苦難による罪の赦しをいただいていない、ということ。また、キリストはパンとぶどう酒の形のもとに、肉体的に臨在されるので、そこにおいて礼拝されなければならない、ということです。
このようにミサは、根本的には、イエス・キリストの唯一の犠牲と苦難を否定しており、呪われるべき偶像礼拝にほかなりません。

※カトリックとプロテスタントの間に、聖礼典に関する理解の相違が事実としてありますが、私たちの教会は「教会の一致」を望んでおり、カトリックに対しても敬意を持っています。
私たちにミサを呪う姿勢はないことを表明しておきます。また、この箇所の言葉により不快な思いをされるすべての方にお詫びします。


しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。
(ヘブライ人への手紙10:12−14)

さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
(コロサイの信徒への手紙3:1)


問081 どのような人が、主の食卓に来るべきですか。 戻る

自分の罪のために自己を嫌悪しながらも、キリストの苦難と死とによってそれらが赦され、残る弱さも覆われることをなおも信じ、さらにまた、よりいっそう自分の信仰が強められ、自分の生活が正されることを、切に求める人たちです。しかし、悔い改めない者や偽善者たちは、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。

しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。
打ち砕かれ悔いる心を
神よ、あなたは侮られません。
(詩編51:19)

だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。 主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。
(コリントの信徒への手紙一11:28−29)


問082 それでは、その信仰告白と生活によって不信仰と背信とを示している人々でも、この晩餐にあずかれるのですか。 戻る

いいえ。
なぜなら、それによって神の契約を侮辱し、御怒りを全会衆に招くことになるからです。それゆえキリストの教会は、キリストとその使徒たちとの定めに従って、そのような人々をその生活が正されるまで、鍵の務めによって閉め出す責任があります。

神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。
(マタイによる福音書7:6)

わたしが悪人に向かって、『お前は必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたがその悪人に警告して、悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。
(エゼキエル書3:18)


第31
主日

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問083 鍵の務めとは何ですか。 戻る

聖なる福音の説教と、キリスト教的戒規のことです。これら2つによって、天国は信仰者たちには開かれ、不信仰な者たちには閉ざされるのです。

だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。
(ヨハネによる福音書20:23)

はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
(マタイによる福音書18:18)


問084 聖なる福音の説教によって、天の国はどのように開かれ、また閉ざされるのですか。 戻る

次のようにです。
すなわち、キリストの御命令によって、信仰者に対して誰にでも告知され、明らかに証言されることは、彼らが福音の約束を、まことの信仰をもって受入れる度ごとに、そのすべての罪が、キリストの功績のゆえに、神によって真実に赦されるということです。
しかし、不信仰な者や偽善者たちすべてに告知され 明らかに証言されることは、彼らが回心しない限り、神の御怒りと永遠の刑罰とが、彼らに留まるということです。
そのような福音の証言によって、神は両者をこの世と来たるべき世において、裁こうとなさるのです。

問085 キリスト教的戒規によって、天の国はどのように開かれ、また閉ざされるのですか。 戻る

次のようにです。
すなわち、キリストの御命令によって、キリスト者と言われながら 非キリスト教的な教えまたは行いを為し、度重なる兄弟からの忠告の後にも その過ちまたは不道徳を離れない者は、教会または教会役員に通告されます。
もしその訓戒にも従わない場合、教会役員によっては、聖礼典の停止をもってキリスト者の会衆から、神御自身によっては、キリストの御国から、彼らは閉め出されます。
しかし、彼らが真実な悔い改めを約束し、またそれを示す時には、再びキリストとその教会の一員として、受け入れられるのです。

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
(マタイによる福音書18:15−17)

あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。
(ルカによる福音書17:3−4)


第3部 感謝について
全生活にわたる感謝
第32
主日

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問086 わたしたちが自分の悲惨さから、自分のいかなる功績にもよらず、恵みによりキリストを通して救われているのならば、なぜわたしたちは善い行いをしなければならないのですか。 戻る

なぜなら、キリストは、その血によってわたしたちを贖われた後に、その聖霊によってわたしたちを、御自身のかたちへと生まれ変わらせもしてくださるからです。
それは、わたしたちがその恵みに対して、全生活にわたって神に感謝を表し、この方がわたしたちによって讃美されるためです。
さらに、わたしたちが自分の信仰を、その実によって自ら確かめ、わたしたちの敬虔な歩みによって、わたしたちの隣人をもキリストに導くためです。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
(コリントの信徒への手紙一6:20)

だから兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば、決して罪に陥りません。
(ペトロの手紙二1:10)

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。
(マタイによる福音書5:16)


問087 それでは、感謝も回心もない歩みから神へと立ち帰らない人々は、祝福されることができないのですか。 戻る

決してできません。
なぜなら、聖書がこう語っているとおりだからです。
「みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません」。

それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。
(ローマの信徒への手紙3:31)

人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず…
(コリントの信徒への手紙二6:9)


第33
主日

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問088 人間のまことの悔い改めまたは回心は、いくつのことから成っていますか。 戻る

2つのことです。
すなわち、古い人の死滅と新しい人の復活です。

キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。
(ローマの信徒への手紙8:2)

だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
(エフェソの信徒への手紙4:22−24)


問089 古い人の死滅とは何ですか。 戻る

心から罪を嘆き、またそれをますます憎み、避けるようになる、ということです。

悪を避け、善を行い
平和を尋ね求め、追い求めよ。
(詩編34:15)

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
(コリントの信徒への手紙二5:17)


問090 新しい人の復活とは何ですか。 戻る

キリストによって心から神を喜び、また神の御旨に従ったあらゆる善い行いに、心を打ち込んで生きる、ということです。

あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。
(ローマの信徒への手紙6:22)

神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
(ヨハネの手紙一5:3)


問091 しかし、善い行いとはどのようなものですか。 戻る

ただまことの信仰から、神の律法に従い、この方の栄光のために為されるものだけであって、わたしたちがよいと思うことや、人間の定めに基づくものではありません。

あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。
(申命記13:1)

疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。
(ローマの信徒への手紙14:23)


十戒について
第34
主日

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問092 主の律法とはどのようなものですか。 戻る

神はこれらすべての言葉を告げられた。

第1戒
 わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
第2戒
 あなたはいかなる像も造ってはならない。
 上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、
 いかなるものの形も造ってはならない。
 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
 わたしは主、あなたの神。わたしは、熱情の神である。
 わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に3代、4代までも問うが、
 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
第3戒
 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
第4戒
 安息日を心に留め、これを聖別せよ。
 6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
 7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。
 あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、
 あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
 6日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、
 7日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
第5戒
 あなたの父母を敬え。
 そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に 長く生きることができる。
第6戒
 殺してはならない。
第7戒
 姦淫してはならない。
第8戒
 盗んではならない。
第9戒
 隣人に関して偽証してはならない。
第10戒
 隣人の家を欲してはならない。
 隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど 隣人のものを一切欲してはならない。

問093 これらの戒めはどのように分かれていますか。 戻る

2枚の板に分かれています。
その第1は、4つの戒めにおいて、わたしたちが神に対して、どのようにふるまうべきかを教え、
第2は、6つの戒めにおいて、わたしたちが自分の隣人に対して、どのような義務を負っているかを教えています。

問094 第1戒で、主は何を求めておられますか。 戻る

わたしが自分の魂の救いと祝福とを失わないために、あらゆる偶像崇拝、魔術、迷信的な教え、諸聖人や他の被造物への呼びかけを避けて逃れるべきこと。
唯一のまことの神を正しく知り、この方にのみ信頼し、謙遜と忍耐の限りを尽くして、この方にのみすべてのよきものを期待し、真心からこの方を愛し、畏れ敬うことです。
すなわち、わたしが、ほんのわずかでも 神の御旨に反して何かをするくらいならば、むしろすべての被造物の方を放棄する、ということです。

すると、イエスは言われた。
「退け、サタン。
『あなたの神である主を拝み、
ただ主に仕えよ』
と書いてある。」
(マタイによる福音書4:10)

地上であなたを愛していなければ
天で誰がわたしを助けてくれようか。
(詩編73:25)

体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
(マタイによる福音書10:28)


問095 偶像崇拝とは何ですか。 戻る

御言葉において御自身を啓示された、唯一のまことの神に代えて、またはこの方と並べて、人が自分の信頼を置く何か他のものを考え出したり、所有したりすることです。

わたしは主、これがわたしの名。わたしは栄光をほかの神に渡さず/わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。
(イザヤ書42:8)

主はこう言われる。
呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし
その心が主を離れ去っている人は。
(エレミヤ書17:5)


第35
主日

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問096 第2戒で、神は何を望んでおられますか。 戻る

わたしたちが、どのような方法であれ神を形作ったり、この方が御言葉において命じられた以外の仕方で礼拝してはならない、ということです。

人間の戒めを教えとして教え、
むなしくわたしをあがめている。
(マタイによる福音書15:9)

神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
(ヨハネによる福音書4:24)


問097 それならば、人はどのような画・像も造ってはならないのですか。 戻る

神は決して模造され得ないし、またされるべきでもありません。
被造物については、それが模造されうるとはいえ、人がそれを崇めたり、またはそれによってこの方を礼拝するために、そのかたちを造ったり所有したりすることを、神は禁じておられるのです。

お前たちはわたしを誰に似せ
誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。
(イザヤ書40:25)

あなたは彼らの神々にひれ伏し仕えてはならない。そのならわしを行ってはならない。あなたは彼らを滅ぼし、その石柱を打ち砕かねばならない。
(出エジプト記23:24)


問098 しかし、画・像は、信徒のための書物として、教会で許されてもよいのではありませんか。 戻る

いいえ。
わたしたちは神より賢くなろうとすべきではありません。この方は御自分の信徒を、物言わぬ偶像によってではなく、御言葉の生きた説教によって教えようとなさるのです。

わたしは隠れた所で、
地の闇の所で
語ったことはない。
ヤコブの子孫に向かって
混沌の中にわたしを求めよ、と言ったことはない。
わたしは主
正義を語り、
公平を告知する者。
(イザヤ書45:19)

神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。
「『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。
そして、彼らの神となり、
彼らはわたしの民となる。
(コリントの信徒への手紙二6:16)


第36
主日

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問099 第3戒は何を求めていますか。 戻る

わたしたちが、呪いや偽りの誓いによってのみならず、不必要な誓約によっても、神の御名を冒涜または乱用することなく、黙認や傍観によっても、そのような恐るべき罪に関与しない、ということ。
要するに、わたしたちが畏れと敬虔によらないでは、神の聖なる御名を用いない、ということです。
それは、この方がわたしたちによって正しく告白され、呼びかけられ、わたしたちのすべての言葉と行いとによって、讃えられるためです。

わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。
(レビ記19:12)

「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
(マタイによる福音書5:33−37)


問100 それでは、呪いや誓約によって神の御名を冒涜することは、それをできうる限り阻止したり 禁じたりしようとしない人々にも、神がお怒りになるほど、重い罪なのですか。 戻る

確かにそのとおりです。
なぜなら、神の御名の冒涜ほど この方がお怒りになる罪はないからです。
それゆえ、この方は、それを死をもって罰するようにもお命じになりました。

主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。神の御名を呪うならば、寄留する者も土地に生まれた者も同じく、死刑に処せられる。
(レビ記24:16)

だれかが罪を犯すなら、すなわち、見たり、聞いたりした事実を証言しうるのに、呪いの声を聞きながらも、なおそれを告げずにいる者は、罰を負う。
(レビ記5:1)


第37
主日

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問101 神の御名によって敬虔に誓うことはよいのですか。 戻る

そのとおりです。
権威者が国民にそれを求める場合、あるいは神の栄光と隣人の救いのために、誠実と真実とを保ち促進する必要がある場合です。
なぜなら、そのような誓いは、神の言葉に基づいており、旧約と新約の聖徒たちによって 正しく用いられてきたからです。

あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。
(申命記10:20)

新共同 [HEB]
そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。
(ヘブライ人への手紙6:16)

問102 聖人や他の被造物によって誓うことはよいのですか。 戻る

いいえ。
なぜなら、正当な誓いとは、ただ独り心を探る方である神に、真実に対してはそれを証言し、わたしが偽って誓う時には わたしを罰してくださるようにと 呼びかけることであり、このような栄光は、いかなる被造物にも帰されるものではないからです。

神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。
わたしを試し、
悩みを知ってください。
(詩編139:23)

だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
(マタイによる福音書10:32)


第38
主日

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問103 第4戒で、神は何を望んでおられますか。 戻る

神が望んでおられることは、
第1に、説教の務めと教育活動が維持されて、わたしがとりわけ安息の日には神の教会に熱心に集い、神の言葉を学び、聖礼典にあずかり、公に主に呼びかけ、キリスト教的な施しをする、ということ。
第2に、生涯のすべての日において、わたしが自分の邪悪な行いを休み、わたしの内で御霊を通して主に働いていただき、こうして永遠の安息を、この生涯において始めるようになる、ということです。

しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。
(ルカによる福音書11:28)

彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
(使徒言行録2:42)

それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。
(ヘブライ人への手紙4:9−10)


第39
主日

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問104 第5戒で、神は何を望んでおられますか。 戻る

わたしがわたしの父や母、またすべてわたしの上に立てられた人々に、あらゆる敬意と愛と誠実とを示し、すべてのよい教えや懲らしめには ふさわしい従順をもって服従し、彼らの欠けをさえ忍耐すべきである、ということです。
なぜなら、神は彼らの手を通して、わたしたちを治めようとなさるからです。

子どもたち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。
(エフェソの信徒への手紙6:1)

召し使いたち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい。
(ペトロの手紙一2:18)

人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
(ローマの信徒への手紙13:1)

「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
(マタイによる福音書22:21)


第40
主日

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問105 第6戒で、神は何を望んでおられますか。 戻る

わたしが、思いにより、言葉や態度により、ましてや行為によって、わたしの隣人を、自分自らまたは他人を通して、そしったり、憎んだり、侮辱したり、殺してはならないこと。かえってあらゆる復讐心を捨て去ること。さらに、自分自身を傷付けたり、自ら危険を冒すべきではない、ということです。
そういうわけで、権威者もまた、殺人を防ぐために剣を帯びているのです。

「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。
(マタイによる福音書5:21−22)

イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
(マタイによる福音書4:7)

人の血を流す者は
人によって自分の血を流される。
人は神にかたどって造られたからだ。
(創世記9:6)


問106 しかし、この戒めは、殺すことについてだけ、語っているのではありませんか。 戻る

神が、殺人の禁止を通して、わたしたちに教えようとしておられるのは、御自身が、ねたみ、憎しみ、怒り、復讐心のような 殺人の根を憎んでおられること。またすべてそのようなことは、この方の前では一種の隠れた殺人である、ということです。

心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。
(レビ記19:17)

兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。
(ヨハネの手紙一3:15)


問107 しかし、わたしたちが自分の隣人を そのようにして殺さなければ、それで十分なのですか。 戻る

いいえ。
神はそこにおいて、ねたみ、憎しみ、怒りを断罪しておられるのですから、この方がわたしたちに求めておられるのは、わたしたちが自分の隣人を自分自身のように愛し、忍耐、平和、寛容、慈愛、親切を示し、その人への危害をできうる限り防ぎ、わたしたちの敵に対してさえ善を行う、ということなのです。

しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
(マタイによる福音書5:44−45)

悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
(ローマの信徒への手紙12:21)


第41
主日

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問108 第7戒は、何を求めていますか。 戻る

すべてみだらなことは神に呪われるということ。
それゆえ、わたしたちはそれを心から憎み、神聖な結婚生活においても それ以外の場合においても、純潔で慎み深く生きるべきである、ということです。

「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
(マタイによる福音書5:27−28)

結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。
(ヘブライ人への手紙13:4)


問109 神はこの戒めで、姦淫とそのような汚らわしいこと以外は、禁じておられないのですか。 戻る

わたしたちの体と魂とは共に聖霊の宮です。
ですから、この方はわたしたちがそれら2つを、清く聖なるものとして保つことを望んでおられます。
それゆえ、あらゆるみだらな行い、態度、言葉、思い、欲望、またおよそ人をそれらに誘うおそれのある事柄を禁じておられるのです。

あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
(コリントの信徒への手紙一3:16)

心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
(マタイによる福音書5:8)


第42
主日

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問110 第8戒で、神は何を禁じておられますか。 戻る

神は権威者が罰するような盗みや略奪を禁じておられるのみならず、暴力によって、または不正な重り、物差し、升(ます)、商品、貨幣、利息のような合法的な見せかけによって、あるいは神に禁じられている何らかの手段によって、わたしたちが自分の隣人の財産を自らのものにしようとする、あらゆる邪悪な行為また企てをも、盗みと呼ばれるのです。
さらに、あらゆる貪欲(どんよく)や 神の賜物の不必要な浪費も禁じておられます。

このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。わたしたちが以前にも告げ、また厳しく戒めておいたように、主はこれらすべてのことについて罰をお与えになるからです。
(テサロニケの信徒への手紙一4:6)

金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。
(テモテへの手紙一6:9)

ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
(ルカによる福音書16:10)


問111 それでは、この戒めで、神は何を命じておられるのですか。 戻る

わたしが、自分にでき、またはしてもよい範囲内で、わたしの隣人の利益を促進し、わたしが人にしてもらいたいと思うことをその人に対しても行い、わたしが誠実に働いて、困窮の中にいる貧しい人々を助けることです。

第43
主日

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問112 第9戒では、何が求められていますか。 戻る

わたしが誰に対しても偽りの証言をせず、誰の言葉をも曲げず、陰口や中傷をする者にならず、誰かを調べもせずに軽率に断罪するようなことに手を貸さないこと。
かえって、あらゆる嘘やごまかしを、悪魔の業(わざ)そのものとして 神の激しい御怒りのゆえに遠ざけ、裁判やその他あらゆる取引においては真理を愛し、正直に語りまた告白すること。
さらにまた、わたしの隣人の栄誉と威信とを わたしの力の限り守り促進する、ということです。

だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。
(エフェソの信徒への手紙4:25)

従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。
(ローマの信徒への手紙14:13)


第44
主日

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問113 第10戒では、何が求められていますか。 戻る

神の戒めのどれか1つにでも逆らうような ほんのささいな欲望や思いも、もはや決してわたしたちの心に 入り込ませないようにするということ。
かえって、わたしたちが、あらゆる罪には心から絶えず敵対し、あらゆる義を慕い求めるようになる、ということです。

神に逆らう者の欲望は悪に注がれ
その目は隣人をも憐れまない。
(箴言21:10)

もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
(創世記4:7)


問114 それでは、神へと立ち帰った人たちは、このような戒めを完全に守ることができるのですか。 戻る

いいえ。
それどころか最も聖なる人々でさえ、この世にある間は、この服従をわずかばかり始めたにすぎません。
とは言え、その人たちは、真剣な決意をもって、神の戒めのあるものだけではなく そのすべてに従って、現に生き始めているのです。

自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
(ヨハネの手紙一1:8)

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。
(フィリピの信徒への手紙3:12)


問115 この世においては、だれも十戒を守ることができないのに、なぜ神はそれほどまで厳しく、わたしたちにそれらを説教させようとなさるのですか。 戻る

第1に、わたしたちが、全生涯にわたって、わたしたちの罪深い性質を次第次第により深く知り、それだけより熱心に、キリストにある罪の赦しと義とを 求めるようになるためです。
第2に、わたしたちが絶えず励み、神に聖霊の恵みを請うようになり、そうしてわたしたちがこの生涯の後に、完成という目標に達する時まで、 次第次第に、いよいよ神のかたちへと 新しくされていくためです。

律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
(ローマの信徒への手紙5:20)

こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。
(ガラテヤの信徒への手紙3:24)

義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
(マタイによる福音書5:6)


祈りについて
第45
主日

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問116 なぜキリスト者には祈りが必要なのですか。 戻る

なぜなら、祈りは、神がわたしたちにお求めになる感謝の、最も重要な部分だからです。
また、神が御自分の恵みと聖霊とを与えようとなさるのは、心からの呻(うめ)きをもって、絶えずそれらをこの方に請い求め、それらに対して この方に感謝する人々に対してだけ、だからです。

わたしの魂よ、主をたたえよ。
わたしの内にあるものはこぞって
聖なる御名をたたえよ。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
(詩編103:1−2)

絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
(テサロニケの信徒への手紙一5:17−18)

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
(マタイによる福音書7:7−8)

問117 神に喜ばれ、この方に聞いていただけるような祈りには、何が求められますか。 戻る

第1に、御自身を御言葉において、わたしたちに啓示された唯一のまことの神に対してのみ、この方がわたしたちに求めるようにとお命じになったすべての事柄を、わたしたちが心から請い求める、ということ。
第2に、わたしたちが自分の乏しさと悲惨さとを深く悟り、この方の威厳の前にへりくだる、ということ。
第3に、わたしたちがそれに値しないにもかかわらず、ただ主キリストのゆえに、この方がわたしたちの祈りを確かに聞き入れてくださるという、揺るがない確信を持つことです。
それは、神が御言葉において わたしたちに約束なさった通りです。


主を呼ぶ人すべてに近くいまし
まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし
(詩編145:18)

神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、わたしたちの荒廃と、御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。
(ダニエル書9:18)

信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。
(マタイによる福音書21:22)

問118 神はわたしたちに、何を求めるようにとお命じになりましたか。 戻る

霊的また肉体的に必要なすべてのことです。
主キリストは、わたしたちに自ら教えられた祈りの中に それをまとめておられます。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
(フィリピのへの手紙4:6)

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
(マタイによる福音書6:33)


問119 主の祈りとはどのようなものですか。 戻る

天にまします われらの父よ
願わくは 御名(みな)をあがめさせたまえ
御国(みくに)を来たらせたまえ
御心(みこころ)の天になるごとく、地にもならせたまえ
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を 今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく 我らの罪をも赦したまえ
我らを試みにあわせず 悪より救い出(いだ)しため
国と力と栄えとは 限りなく汝のものなればなり アーメン

第46
主日

戻る
問120 なぜキリストはわたしたちに、神に対して「われらの父よ」と呼びかけるようにお命じになったのですか。 戻る

この方は、わたしたちの祈りのまさに冒頭において、わたしたちの祈りの土台となるべき、神に対する子どものような畏れと信頼とを、わたしたちに思い起こさせようとなさったからです。
言い換えれば、神がキリストを通してわたしたちの父となられ、わたしたちの父親たちがわたしたちに地上のものを拒まないように、ましてや神は、わたしたちが信仰によってこの方に求めるものを拒もうとなさらない、ということです。

このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
(マタイによる福音書7:11)

肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
(ローマの信徒への手紙8:5)


問121 なぜ「天にまします」と付け加えられているのですか。 戻る

わたしたちが、神の天上の威厳については 何か地上のことを思うことなく、その全能の御性質に対しては 体と魂とに必要なすべてを期待するためです。

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。
(イザヤ書55:8−9)

世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。
(使徒言行録17:24−25)


第47
主日

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問122 第1の願いは何ですか。 戻る

「御名をあがめさせたまえ」です。
すなわち、第1に、わたしたちが、あなたを正しく知り、あなたの全能、知恵、善、正義、慈愛、真理を照らし出す、そのすべての御業において、あなたを聖なるお方とし、あがめ、讃美できるようにさせてください、ということ。
第2に、わたしたちが自分の生活のすべて、すなわち、その思いと言葉と行いを正して、あなたの御名がわたしたちのゆえに汚されることなく、かえって、あがめられ、讃美されるようにしてください、ということです。

聖なる神殿に向かってひれ伏し
あなたの慈しみとまことのゆえに
御名に感謝をささげます。
その御名のすべてにまさって
あなたは仰せを大いなるものとされました。
(詩編138:2)

しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、「主は御自分の者たちを知っておられる」と、また「主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである」と刻まれています。
(テモテへの手紙二2:19)


第48
主日

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問123 第2の願いは何ですか。 戻る

「御国を来たらせたまえ」です。
すなわち、あなたがすべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで、わたしたちがいよいよあなたにお従いできますよう、あなたの御言葉と聖霊とによってわたしたちを治めてください、あなたの教会を保ち進展させてください、あなたに逆らい立つ悪魔の業(わざ)やあらゆる力、あなたの聖なる御言葉に反して考え出されるすべての邪悪な企てを、滅ぼしてください、ということです。

イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
(ヨハネによる福音書18:36)

そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
(マタイによる福音書9:37−38)

しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。
(ペトロの手紙二3:13)


第49
主日

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問124 第3の願いは何ですか。 戻る

「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」です。
すなわち、わたしたちやすべての人々が、自分自身の思いを捨て去り、唯一正しいあなたの御心に、何ひとつ言い逆らうことなく聞き従えるようにしてください、そして、一人一人が自分の務めと召命とを、天の御使いのように 喜んで忠実に果たせるようにしてください、ということです。

それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
(マタイによる福音書16:24)

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」
(ルカによる福音書22:42)

御使いたちよ、主をたたえよ
主の語られる声を聞き
御言葉を成し遂げるものよ
力ある勇士たちよ。
主の万軍よ、主をたたえよ
御もとに仕え、御旨を果たすものよ。
主に造られたものはすべて、主をたたえよ
主の統治されるところの、どこにあっても。
わたしの魂よ、主をたたえよ。
(詩編103:20−22)


第50
主日

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問125 第4の願いは何ですか。 戻る

「われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ」です。
すなわち、わたしたちに肉体的に必要なすべてのものを備えてください、それによって、わたしたちが、あなたこそ良きものすべての唯一の源であられること、また、あなたの祝福なしには、わたしたちの心配りや労働、あなたの賜物でさえも、わたしたちの益にならないことを知り、そうしてわたしたちが、自分の信頼をあらゆる被造物から取り去り、ただあなたの上にのみ置くようにさせてください、ということです。

ものみながあなたに目を注いで待ち望むと
あなたはときに応じて食べ物をくださいます。
(詩編145:15)

イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
(マタイによる福音書4:4)

良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。
(ヤコブの手紙1:17)


第51
主日

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問126 第5の願いは何ですか。 戻る

「われらに罪をおかす者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」です。
すなわち、わたしたちのあらゆる過失、さらに今なおわたしたちに付いてまわる悪を、キリストの血のゆえに、みじめな罪人であるわたしたちに負わせないでください、わたしたちもまた、あなたの恵みの証しをわたしたちの内に見出し、わたしたちの隣人を心から赦そうと かたく決心していますから、ということです。

神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください。
(詩編51:3−4)

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。
(マタイによる福音書6:14−15)


第52
主日

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問127 第6の願いは何ですか。 戻る

「われらをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」です。
すなわち、わたしたちは自分自身あまりに弱く、ほんの一時(ひととき)立っていることさえできません。
その上わたしたちの恐ろしい敵である悪魔やこの世、また自分自身の肉が、絶え間なく攻撃をしかけてまいります。
ですから、どうかあなたの聖霊の力によって、わたしたちを保ち、強めてくださり、わたしたちがそれらに激しく抵抗し、この霊の戦いに敗れることなく、ついには完全な勝利を収められるようにしてください、ということです。

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
(エフェソの信徒への手紙6:12)

主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
(テモテへの手紙二4:18)


問128 あなたはこの祈りを、どのように結びますか。 戻る

「国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり」というようにです。
すなわち、わたしたちがこれらすべてのことをあなたに願うのは、あなたこそわたしたちの王、またすべてのことに力ある方として、すべての良きものをわたしたちに与えようと欲し、またそれがおできになるからであり、そうして、わたしたちではなく、あなたの聖なる御名が、永遠に讃美されるためなのです。

偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。主よ、国もあなたのもの。あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。
(歴代誌上29:11)

わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
(エフェソの信徒への手紙3:20−21)


問129 「アーメン」という言葉は、何を意味していますか。 戻る

「アーメン」とはそれが真実であり確実である、ということです。
なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです。

神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。
(コリントの信徒への手紙二1:20)

彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
まだ語りかけている間に、聞き届ける。
(イザヤ書65:24)