宗教カルトの問題で苦しむ方へ
原理対策委員会とは?
自分がカルト団体の中にいると気付いたとき
家族の中の誰かがカルト団体の中にいると気付いたとき
友人・知人がカルト団体の中にいると気付いたとき
カルト団体に勧誘されていて怖い・困っている
ほかの相談先には、どんなところがありますか?
お金の被害はどうすればいいでしょうか?


「摂理・JMS」のバイブル・スタディ(BS)の部屋


原理対策委員会とは?

日本キリスト教団大阪教区は、「統一原理問題対策委員会」を設置し、
宗教カルト問題の相談をお受けしています。

この委員会は、名前の通り、
統一協会(統一教会)による深刻な被害に向き合うために、組織されました。

今も相談の大半は統一協会およびその関連団体のものですが、
破壊的マインド・コントロールを用いるという点で共通項を持つ
様々な「議論ある団体」の相談が、多数寄せられるようになっています。

問い合わせ・相談の中には、見聞きしたこともない新しい団体名がしばしば出てきます。
マルチ商法やエセ科学、能力開発や自己啓発、NPOなど、

原理対策委員会の電話は 070−5654−4519 (PHS)です。
大阪教区内の牧師が、相談をお受けすることになっています。

ただし、委員は全員牧師ですので、礼拝式や集会中などは、電話に応答することができません。
また、それぞれに生活のため必要な時間がありますから、24時間体制というわけにはいきません。
常識的な時間帯で、つながらなければ少し待っていただいて、それからお電話ください。
なお、窓口の性格上、番号非通知の電話は、お受けすることが出来ません。


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自分がカルト団体の中にいると気付いたとき

「あんなに親切にしてくれた人が、私をだますはずがない」
ショックだったでしょうし、今でも信じられない気持ちかもしれません。
ふり返ってみれば、「何かおかしい…」と感じたことが、きっとあっただろうと思います。
でも、「私たちは宗教ではありません」とか、
「風水の勉強をしています」、「世界の平和のために活動しています」、
「ボランティアサークルです」、「スポーツサークルです」、
「健康器具の紹介です」、「子育てに関する勉強会をしています」
、etc…etc…
その表がわの看板となっている活動の中で、
あなた自身も有意義で充実した、あたたかい関係を感じてきたのでしょう。

最近、「宗教は危ない」という意識からか、
安全で価値のある伝統宗教に、人が寄りつかない傾向にあります。
ところが、カルトと呼ばれる危険な団体は、
その正体と目的を隠し、仮面をつけて、近づいてきます。
ですから、伝統宗教には人が寄りつかないのに、
カルト宗教や疑似宗教団体は、あいかわらず人と金を集めることができているようです。

「だって、本当のことを言ったら、あなたは最初から聴こうとしなかったでしょう」

その通りなのです。
それを「偏見」と考えるなら、確かにみにくいものであるかもしれません。
しかし、人間関係にひきずられて、あともどりできなくなる前に、考えてみてください。
その人たちは、勧誘という目的のために、
正しい情報をあなたに与えなかった不誠実な人なのです。

確かに、伝道・布教・教化することは、あなたのためにもなるかもしれません。
カルト団体に属して得ることが出来るものの一切が無価値だなどと、考えているわけではありません。
場合によっては、その出会いも必要だったのではないかと思うこと、
その出会いがその人を支え、慰めや新しい力を与えてくれたということも、あるように思います。
しかし、それでもそれは結果論であって、
あなたを勧誘した人は、正体を隠してあなたに近付いてきた策士であったのです。
このことは、重要なことです。
他の誰かから、操作・誘導されることを、快く思う人がいるでしょうか。
勧誘してくる人が、誠実で、真面目で、善意と思いやりにあふれた人のように見えた。
それは、当たり前のことではないでしょうか。
横柄な、人当たりの悪い者を、わざわざ勧誘活動に出す団体は、よほどの人材不足なのでしょう。
その人が、善意にあふれた素晴らしい人に見えたとしても、
そのことと、その宗教の価値とは、別物と考えるべきだろうと思います。

「正しい情報に基づく判断」をすることは、何らやましいことではありません。
逆に、最初から正しい情報を出せない団体は、自分自身やましさを感じる実態を持っているわけです。

その団体の正体が明かされるのは、
あなたとの人間関係が築かれ、断りにくい状況が作り出された後のことです。
「もう、この人には話して大丈夫だろう」と値踏みされた者にだけ、
カルトと呼ばれる団体は、その正体を明かしてきます。
「この人はいける」、「この人はまだ駄目だ」
そんな評価をしながら、あなたの様子をうかがっている、ずる賢い者たちがいます。
多くの人は、こう考えているでしょう。
「そんなことはない、私は自分で決断をした」、
「誰にも強制などされていない」。

そうです、マインド・コントロールとは、そのようなものです。
ひとつひとつの事柄については、違法だとまでは言い難いのだけれども、
それらを一連の指導・行為として考えてみると、
選択肢そのものが用意され、価値観がせばめられていったことが分かる。
まるでレールの上にいる機関車のようです。
確かに、自分のエネルギーでエンジンを動かして進んでいるけれども、
決められたレールの上を走っているに過ぎない。

どうしてあなたはその新しい生き方を素晴らしいと思ったのでしょう?
どうしてそれしかないと思ったのでしょう?
あなたと一緒に信仰の道を歩んでいるあなたの仲間は、
どうしてあなたと同じ道を歩もうと決めたのでしょう?
そして、あなたが勧誘した人が理想的な成長を遂げた場合、
やはりあなたと同じ道を歩んでいるのではありませんか?
本当はかなり個性の違う人たちなのに、自己否定をし、その個性を自ら抑圧していく先に、
実によく似通った生き方、信仰の在り方、考え方、言葉、態度、………。
その団体に属していると、次第に嘘の付き方までも似てしまう、
そんな没個性の生き方が待ちかまえていたなんて、おかしくありませんか?

あなたを愛し、あなたの尊厳を大切にしようとする人は、あなたの個性を奪ったりなどしません。
自分の不完全なところを成長させるために叱られるのは必要なことだし、
叱られるのは愛のしるしだと思っている人もいるでしょう。
でも、よく観察してみてください。
カルト団体は、人によって、言葉を、態度を使い分けます。
あなたの属する団体は公平に、平等に、人間を扱うことが出来る団体でしょうか?
あなたがノルマを果たすからあなたの価値を認めてくれるのではなく、
あなたという存在を大切にしてくれる団体に、あなたは属しているでしょうか?
あなたは、その団体の中で、取り替えのきく歯車のひとつになってはいませんか?
あなたと同じか、それ以上の仕事をしてくれるなら、別にあなたじゃなくてもかまわない。
それが分かってしまっても、もう行き場がないほど、
あなたはこの世でひとりぼっちの人間ですか?


「もし、選んだ道が間違っていたら・・・」
そんなことは、あってはならないことだし、
そんなはずはないと打ち消したいかもしれません。
疑いを持つことは悪魔の誘惑であり、迷いイコール敗北なのだと考えてしまうかもしれません。
でも、勇気を出してください。
神仏を信じようとする人は、自分が万能ではないことを知っているはずです。
だから、勇気を出して、真実を探してください。
「本物」はどんなことがあっても壊れません、たとえあなたが疑ってもです。
目先のことは、がんばればなんとかなるでしょう。
がんばっていれば、自分を英雄にもヒロインにも思えるでしょうし、
がんばれなければ、もっとがんばろうと思うことができるでしょう。
問題はその先のことです。
あと何年か、何十年のあなたの人生において、
信仰の結果、あなたは何を手に入れることができ、何を失うことになるのでしょうか。

信者たちに犯罪行為さえも行わせるグループが存在しています。
あなたは詐欺や脱税、脅迫行為に荷担してはいませんか?
どのような理由を持っていようとも、
家族の前で、警察官の前で、マスコミの前で、裁判官の前で、
偽証しなければならないような活動をしてはいませんか?
他者を傷付けることを容認する、更には積極的にこれを行うグループは、
たとえ現状で彼らが宗教法人として認可されていても、存在すべきではありません。
「信教の自由」という権利は最大限に保証されるべきですが、
教えてはならず、信じてはならない事柄があります。
カルト宗教が批判されるべきは、その反社会的な犯罪行為の数々について、
また、信徒の方々に対して行っている「虐待」の数々についてだと考えます。
すべての宗教は、「常識」ではかることのできない面を持っています。
「常識」がすべてであるなら、宗教を信じることに意味はありません。

「宗教は「非常識」であってかまわない」
非常に乱暴な言い方ではありますが、私はそう考えます。
そして、その「非常識」とは、
「厳然として存在する因果応報論や運命論に対する非常識」でありたいものです。


注意してください。
宗教法人法は、その団体の「安全さ」を保証してくれているわけではありません。


ある人たちは、都合が悪くなると、「論理のすりかえ」をしながら、
蕩々(とうとう)と一般論を語りはじめ、
真に問われている「自分固有の問題」から逃れようとしがちです。
たとえば・・・
「この世の中は罪にまみれ、犯罪が増加傾向にあり、人の心がすさんでいる」
それは、その通りなのかもしれません。
ところが、
「正しい目的のためならば、この世では犯罪行為になることでも、神様の目には正しいことである」
「今はだまされたと嘆いているかもしれないが、天国に行った時、きっと感謝される」
「マスコミが騒ぐから問題になったが、感謝している人だっている」

このような詭弁は、決して通用するものではありません。
自らがこの世の悲惨を作り出す役割を果たし、多くの被害者を生み出しているという、
まずそのことを真摯に反省し、改めるのでなければ、
他の誰かのことを批判する資格などないのではありませんか。
犯罪は被害者を生み出します。
被害者の人生をくるわせ、被害者を悲しみや絶望の中に突き落とします。
そのような者たちに向かって、
「天国に行けば分かる、感謝するようになる」と言い放つことのできる心は、
恐ろしく無慈悲であり、神からも仏からも遠いと思います。

嘘や犯罪の力を借りなければ生み出し得ない社会が、理想の社会になるはずはありません。
人と人が愛によって結ばれ、相互に尊重し、信頼しあうようになる。
私はそれがこの地上の問題を解決するために必要なことだと思います。
それは、嘘や、だましや、犯罪によって得た金の力では、実現することのできない社会です。
いくら自分自身が一生懸命やっていても、ナルシストであってはいけません。
してはならないことを一生懸命やっているに過ぎないのなら、
しかもそれを神仏の名のもとにやっているのなら、
それは神仏の名をけがすことにほかならないのです。


カルトと呼ばれる信仰に生きている方に、考えていただきたいことがあります。
自分の子どもが、「これを神様にささげたかったから」と言って
友だちをだまし、それを奪って、ささげものにしたら、
その親はどのように子どもを叱ることができるのでしょうか?

自分の子どもが、あなたとは違う信仰と出会い、
その信仰に生きるために親に嘘を言うようになり、
満足な対話も成り立たなくなり、
ただ「自分を信頼して欲しい」、「今は認めて欲しい」としか言わず、
親の反対を押し切って家出までしてしまったなら、
あなたは心配せずにいることができるでしょうか。

動機・目的が仮に正しかったとしても、手段が問われるのです。
大日本帝国のかつての過ちを思い起こしてみてください。
あの戦争を、正義のための戦争だ、アジアの解放のためだと信じた人たちがいました。
しかし、その「動機・目的」に理解を示すことができるとしても、
実際に行った残虐非道な行為を、私は断じて容認することができません。


批判を受けた団体は、その批判を「宗教迫害」とか「宗教論争」と宣伝しがちです。
しかし、犯罪行為や虐待行為が批判されている時に、
「これは宗教迫害だ」としか反応できないのは、対話能力が欠如しているということです。
「どの団体だって問題はあるでしょう」と、一般論に逃げ込もうとする方もいます。
確かに、その通り、完全な組織というものは、きっと存在しないでしょう。
私の属する日本基督教団にも、多くの問題点・課題を抱えています。
しかし、「真理を知った者」、「悟りを得た者」、「覚醒した者」が、
「こういう問題はどこにでもある」などと自己弁護をするのはおかしいことです。
あなたの信じる神仏は、目的のために誰かをだまし、傷つけることを容認するでしょうか?
そのような神仏であるなら、あなたはそれを信じなかったはずです。
大きな目的のためには、小さい犠牲は仕方ないと言い放つ人間になってはいけません。
誰かを傷つけている自分を発見してしまったなら、
それは本当につらく、悲しいことですけれども、
自分が選び取ってしまった悪の道を断ち切らなければなりません。


「どちらの教えが正しいのか」などと論争しているわけではないのです。
ひとつの宗教の教義は、他からどんなに滑稽に見えるとしても、
その宗教として正しいのだと私は思っています。
従って、他宗教の者から見て、あなたの教えは間違っていると言うことは、
もしかするとできないのではないかと思います。
勿論、聖書に照らしてとか、どの仏典に照らしてとか、
基準・尺度とするものを共有できるなら、論じ合うことは可能でしょうが、
自分の持つ教えに固執するあまり、他を批判するということは、傲慢であろうと思います。
せいぜい、「私の受けた教えではこうだが、あなたの受けた教えではどうか」と、
あるいは、「あなたがしていることは法的な問題があるが、どう思うか」と、
話し合うことが可能なだけではないでしょうか。

しかし、前述した通り、信じるべきではない教えがあります。
信じたものが生み出す結果について、信じた者は責任を負わなければなりません。
謙虚に、冷静に、自分が信じた結果がどうなっていくのか、
第三者の視点から、自分自身と、自分の属する組織を見つめ直してみましょう。
それは不信仰なことでも、悪魔の誘惑でもありません。
それが本当に真理であるなら、揺らぐことはあり得ないはずなのです。

大きい建物や大規模な活動、たくさんの信者さん、まじめで献身的な人たち、
そういうものを見て、人の判断力は惑わされがちです。
しかし、宗教というものは、何によって評価すべきなのでしょう。
何によって信頼すべきなのでしょう。
いい人が話してくれたこと、教えてくれたことであっても、
だからすべて正しいと言い切ることはできないのです。


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家族の中の誰かがカルト団体の中にいると気付いたとき

カルト宗教に愛する者を奪われたと嘆いておられる方々、
自分は正しくて相手が間違っている、相手が悪いという決めつけを捨てて下さい。
怒りにまかせ、決めつけてしまえば、真実が見えなくなります。
判断を間違う時も、身勝手で傲慢になる時も、確かに人間にはありますが、
完全で万能な人間などいない、そうではありませんか。
手放しで喜べるような幸福な人生を歩んでいる人は、恐らく宗教に出会わないことでしょう。
あなたの大切なご家族にも、きっと何か辛いことがあったのです。
不安なことが、悩むことが、あったのです。
その時に、残念ながら、その人は身近な方々に相談することができず、
自分なりに頑張ろうとして、自分が変わることで問題を解決しようとして、
カルトに出会ってしまったのかもしれません。

その心を責めることができますか?

大切にしたい者どうしがすれ違い、心を通わせ合うことができなくなり、
無理解のゆえに傷付け合ってしまうことが、何よりも悲しいことだと私は考えます。
信じるものが違っていても、心を通わせ合い、信頼しあうことはできます。
愛があれば、共に生きていくことを選び取る意志を持っているなら、必ずできます。
今、あなたは、あなたを悲しませているものを
「家族の誰かがカルトに入ってしまったこと」だと考えているかもしれません。
しかし、それは表面的な問題に過ぎないのであって、
より本質的なことは、「心が通い合わない」状態にあることではないのでしょうか。

そうは言っても、カルトとはマインドコントロールにより、
組織の充足という目的のために、反社会的な行為をあなたのご家族にさせる団体です。
あなたのご家族の心も、尊厳も、実はカルトによって踏みにじられています。
よって、そのような団体から、愛する者を一刻も早く救出したいと考えるでしょう。
私もきっとそのように考えると思います。
他の何をしていても、心配や不安が頭を離れることはないでしょう。

しかし、心の問題に向き合っていくわけですから、
外科手術のようにばっさり切ってしまうことはできません。
だから、心が通い合うようになるまでには、時間がかかるかもしれません。
でも、捨てないであげて下さい。あきらめないで下さい。
その方は、道の選択を今は間違っているのかもしれませんが、
その方が求めていることは、あなたにとっても大切なことかもしれません。
少なくとも、その方と一緒に人生を生きていきたいのであれば、
それを知ることはあなたにとっても必要なことでありましょう。
カルト問題を解決するために必要なことは、
宗教の知識や批判的な言葉ではなく、
かけちがった心のボタンを、かけなおそうとする勇気です。

大切なことは、「間違い」に気付かせることではありません。
大切なことは、脱会させることではありません。
悲しいことは、大切な家族が悪評高いカルト団体に入ってしまったことではありません。
悲しいことは、家族が違う宗教を信じてしまったことではありません。
本当に悲しいことは、悲しみ苦しんでいる互いの顔が見えなくなり、
真の愛情をもって語りかけている言葉が届かなくなり、
互いの心が通じ合わなくなってしまうことなのです。

それゆえに、コミュニケーションの再構築ということが、
カルト問題の解決のための最重要課題であると私は考えています。

「太陽と北風」という話があります。
あなたは北風になってはいけません。
あなたは太陽にならなければなりません。
あなたと共にいるよりも、偽りに満ちた団体の中に身を置いている方が快適だと、
あなたの大切な家族に言わせるようであってはなりません。


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友人・知人がカルト団体の中にいると気付いたとき

あなたは何をすることが出来るでしょうか?

かつて、私の友人もカルト団体に入りました。
私はその友人が入ったカルト団体の実態を知っていましたので、
その友人がどうしてその団体に入っていったのか、
どうして入っていかなければならなかったのか、
その気持ちを考えることから、始めることが出来ました。

痛々しいまでに、家族の幸せを願いながら、
その逆であるような現実に心を痛め続けてきたその友人が、
その団体に出会い、惹(ひ)かれていったことは、
ごく自然なことにように思えました。

私は何も責めることが出来ませんでした。
それは社会の評価としては、たいへんに評判の悪い、実際に数々の犯罪を行う集団でした。
それでも私は責めることが出来ませんでした。
ただ、悲しかった。
その友人が、そんな所に行かなければならないほど悩んでいたのに、
何も気付かずにいた自分が悲しかったし、
その悩みを打ち明けてくれなかった友人の水くささについても、たいへん悲しく思いました。

しばらく話しているうち、その友人は脱会してくれました。
教義がどうの…という話は一切ありませんでした。

もしかしたら、カルト問題というものは、
感情さえ通じ合えれば、理屈はその後で付いてくるようなものなのかもしれません。

〜・〜・〜・〜・〜

友人が、付き合っている人が…という相談は、少なくありません。
話を聞いてみると、実は、
「相談してきたその人との関係に悩んで、本人はカルト団体に行ったのではないか?」
そんな印象を受けることもあります。
恋愛感情など絡むと、
「あの人が振り向いてくれないのは、あんな団体にコントロールされているからに違いない」
そんな思い込みをしてしまっている人も時々います。

もちろん、まったくそのようなややこしい関係ではなく、
本当に親身になって、解決までの道筋をつけてくれる、頼もしい友人もいます。

職場にそのカルト団体の人が蔓延していて勧誘される…というような相談もあります。

このようにケースは多種多様なのですが、
まず大切なことは、家族でなければ出来ないことと、友人だからこそ出来ることとの区別を、
しっかりすることではないでしょうか。
現実的には、友人・知人が出来ることは、あまり多くありません。
軽率な行動は本人を追い込んでしまうばかりで、状況を悪くしてしまいます。
事柄について話してくれるようであれば、まずはじっくりと聞いてあげてください。
話もしたくない様子であれば、あなたが心配しているということを、ときどき伝えてください。
できることなら、その人のご家族にも知らせてあげてください。

(ご家族も信者さんということもあります、その辺りは慎重にしてください)
(「心配しているんだが…」という率直な気持ちを伝えましょう)

そして、私たちも相談に乗ることが出来ます。
あなたに何をすることが出来るのか、一緒に考えましょう。


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カルト団体に勧誘されていて怖い・困っている

まずは落ち着きましょう。
そして、ゆっくりと考えてみましょう。

あなたに接触しようとしているのは、何という名前の団体ですか?
あなたが怖いと感じているのは、どんな理由があるからですか?

暴力を受けた、ストーカーされた、長時間拘束された、執拗に入会を迫られた、からですか?
たたりや死などの話をされた、サラ金に行って金を作るように言われた、
脅迫とも言えるようなトークを受けて、高額の商品の契約をさせられた、からですか?
それとも、マスコミ等で話題になっていた団体に突然出会ってしまって、
よく分からないけれども、パニックに陥っているのですか?

監禁、脅迫、ストーカー、また金銭被害などは、すぐに警察に相談した方が良いと思います。
弁護士会、国民生活センター・消費者センターなども、相談に乗ってくれると思います。
もちろん、私たちも相談にのらせていただきます。

でも、「カルトだから何をするか分からない」などと
根拠のない恐怖心を抱いてしまっているだけかもしれません。

まずは落ち着きましょう。
そして、ゆっくりと考えてみましょう。


〜〜〜〜〜〜〜


「困っている」という場合には、
あなたを勧誘しようとしている人が、親しい人であるケースが考えられます。
親しい人間関係を作り上げた後に勧誘をするということが
問題ある団体にありがちな勧誘方法であるように思います。

まず、はっきりと拒絶の意思表示をしてください。
そして、さらに必要生じるようなら、適切に距離を置いてください。
それでも、つきまといなどが発生した時には、
ストーカー被害を訴え出るといった対処法があるかもしれません。


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ほかの相談先には、どんなところがありますか?

リンクのページに、カルト問題関係のリンクがあります。そこを参考にしてください。
ただし、ここにリンクされていなくても、すぐれた相談機関はたくさんあります。

「相談先とされている所もカルトだったらどうしよう…」という
不安を抱える家族も多いと聞いています。
まず、法外な金銭を要求するところは論外ですから、避けてください。
また、「うちに来れば大丈夫、他ではだめ」というような宣伝をする相談機関も危険です。
プラスの情報だけを聞くのではなく、マイナスの情報も求めてみると、いいかもしれません。


それでも迷った時のために…

カルト問題に関わる者は、
ネットワークの中に身を置いていることが好ましいとされています。
その相談機関に関する情報を、
同じ活動をしている者たちがまったく知らないということはありません。
詳しくは知らなくても、「どこの誰はどう」というくらいの情報は、持っているものです。

あちらこちら、相談機関を渡り歩くことはお奨めできませんが、
好ましい相談機関に出会えるかどうか、一発勝負というわけでもありません。
良い出会いがありますよう、お祈りいたします。


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お金の被害はどうすればいいでしょうか?

基本的に、本人の脱会後に、弁護士などの代理人を立てて、被害回復をすることになります。
本人の脱会の後に被害回復! この順序を間違えないでください。
「お金さえ戻れば…」という態度は、その根底から間違っています。

本人の脱会ということの中には、適切なカウンセリングと心の整理ということも含まれています。


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